2012年10月11日木曜日

親鸞聖人は 何を悲しみとし 何を喜びとされたのか




先日あるお寺の報恩講に講師としてお招きいただき「親鸞聖人は 何を悲しみとし 何を喜びとされたのか」という講題で三座お話させていただきました。
そして10月17、18日と当寺の報恩講をお迎えするにあたり、同じく「親鸞聖人は 何を悲しみとし 何を喜びとされたのか」を今年の報恩講のテーマという意味合いも含めて書かせていただきました。

個人的な悲しみや個人的な喜びの中を流転する私たちに本当の悲しみ、本当の喜びというものを教えて下さった、それが親鸞聖人というお方なのではないかと思います。そしてその教えに出遇った者がその喜びを報恩講というかたちで表現されてきました。それは単なる喜びの歴史ではなく、悲しみの歴史でもあります。迷いを抱えた者が迷いの身と向き合い悪戦苦闘しながら真剣に道を求めてきたのです。その歴史の中において現代を生きる私たちはどのように生きるのか。私たちに先立って苦悩し、その中から確かな世界に出遇っていかれた聖人の教えに耳を傾けずにはいられません。

古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ 
松尾芭蕉