2010年12月5日日曜日

落ちてはじめて気がついた 受け止めてくれた大地に また立ち上がる勇気をいただいた

私たちがこの世に生を受けるということは、同時に本来立つべき大地を見失うということなのかも知れません。
有名な「白骨の御文」は冒頭の

それ、人間の浮生なる相をつらつら観づるに、…  
『御文』第五帖・16通 蓮如上人

という言葉ではじまりますが、人間の一生を浮生とおさえておられます。
川面に浮かぶ浮き草のようにつながるところもなく自分の思いに、また時代に翻弄されながら流され続けているのが私たちではないでしょうか。

よくもまあ

ここまできて
ようやく
地獄の闇が
みえてきました

それにしても
飛べない羽で
よくもまあ
とんでいたものです


石塚朋子

私たちは自分の羽で自分の羽さえあればどこまでも飛んでいけると思っていたのです。誰よりも高く誰よりも遠くへ。高さや距離を競い合い、勝ち負けを競い合いし疲れ果て、遠くへ遠くへとどこへ向かっているとも知らずにがむしゃらに羽ばたき続けボロボロになった羽。そのことにすら気づくこともなく落ちたらおしまいだと思い込み、もっと高くもっと遠くへと藻掻き苦しんでいる私たち。もうどうにもならなくなって力尽きて落ちてみたら、大地がこの身を受け止めてくれた。落ちてみてはじめて大地があることを知った。大地はいつもこの身を受け止める準備をしていてくれたのに、煩悩の雲が大地を見えなくさせていたのです。しかし自分で飛ぶ力がなくなって、だんだん大地に近くなっていってはじめて煩悩の雲をくぐることができるのです。私たちは思い通りに飛べるときは、大地の存在など目に入りません。しかしその人生に問題が起こってくる。それは病気であるかもしれないし、死を意識した時かもしれないし、仕事や人間関係に行き詰まったときかもしれません。そうなってはじめて立ち止まり自らの在り方を問うということが生まれるのです。

落ちたら終わりと思っていたら落ちた場所が実は生きていくべき場所だった。大地に立てたときそこにはじめて立てた本当の安堵感とそこに立つことができた喜びが生まれるのでしょう。その喜びの声がお念仏なのです。またその喜びだけでなく同時に石塚さんが「 それにしても飛べない羽でよくもまあとんでいたものです」といわれているように懺悔の心が生まれます。本当の自分自身の姿に頭が下がるのです。「どうしようもない我が身でした」と我が身を恥じ悲嘆するということが喜びと同時に起こるのです。お念仏には、お念仏の声の外側に歓喜、内側に懺悔という両面があるのです。

こんなちっぽけな私を受け止めてくれていた、それが有り難いのですね。
大地があれば何度でも立ち上がることができます。
また何度落ちたとしてもまた立ち上がることができます。
悲しみや苦しみと共に生きていく勇気をいただくのです。

2010年10月23日土曜日

暑さや寒さが 秋の色づきを深めるように 苦悩や悲しみが 人生の色づきを深くする

今年は猛暑でしたが、暑い日だけが続いたのでは木々は色づきません。紅葉が美しくなるためには、昼夜の気温の温度差が重要になってくるとか。温かいだけでもだめ。寒いだけでもだめで、両方の条件が揃うことによって彩りが鮮やかになるのです。どちらも必要な条件なのです。

私たちは自分にとって心地良い条件を求め、反対に心地良くない条件を遠ざけながら生きています。つまり自分にとって必要なものと必要でないものを分けて生きているわけです。喜びや楽しみは必要だけれども苦悩や悲しみは必要ない、なるべく遠ざけたいと。

仏教は苦しみや悲しみから救う教えではありますが、苦しみや悲しみを無くしてしまう教えではありません。苦しみや悲しみを大きな世界に目覚めるための縁としていただいていくのです。

そもそも喜びや悲しみとは二つに分けられるべきものではないように思います。例えば赤ちゃんを授かって、喜ばない人はいないと思いますが、子を授かったことによって育児に悩んだり、我が子の病や死とも出遇わなくてはいけなくかもしれません。また結婚するということは離婚することがあるかもしれないということです。私たちは喜びや楽しみを求めて行動しますが、結果として苦しむ原因をつくりだしているといえるのかもしれません。よく考えてみると喜びが苦しみに変わってしまうのであればそれは本当の喜びといえないのではないでしょうか。

喜びや苦しみといってもどちらも私の思いの中で「喜び」と「苦しみ」とに分けているのです。この二つに分けている「私」というものを問題にしていくのが仏教なのです。これまで一度も問題になることがなかった「私」、その自己とは何者か、そのことを問題とするのです。喜びの中からはなかなかそのことは問題になってきません。反対に思い通りにならなくなくなり、もうどうすることもできないという苦悩するところに問題になるのです。そして思い通りにならないところにその思い、自己というものが破られ、大きな世界へと目覚めるということがあるのです。

大きな世界に目覚めてみれば、苦悩や悲しみも大切なご縁であったのです。私にとって不必要だと思っていたものに意味を見出していくのです。苦悩や悲しみがあったからこそ、本当に大切なものに出遇うことができたと。そこに本当の喜びというものを賜るのだと思います。個人的な思いを超えた喜び、それがお念仏という声になって私たちの口から出てくださるのです。また同時にお念仏するところに苦悩や悲しみも受け止めていくことができるのです。

喜びも楽しみも苦しみも悲しみもどれが一つ欠けてもあなたではない。
あなた色に輝くいのちが今ここに生きている。

2010年9月15日水曜日

仏さまの慈悲の深さは 私たちの迷いの深さ 仏さまの慈悲の深さは 私たちの喜びの深さ

迷いといっても私たちは、まず私というものがあって、その私が迷っていると思っているのではないでしょうか。今かかえる迷いとは私だけのものだとすると、自分の力でなんとか迷いから抜け出せるのではないかと私たちは考えてしまいます。親鸞聖人は私たちを「悪人」、「煩悩具足のわれら」、「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」とおさえられましたが、それは私たちの力でどうこうできるものではなく、私たちの迷いというものが人間よりももっと深く、根源的なものであるからなのです。親鸞聖人のいう迷いとは個人的なものではなく、もっと根源的な迷いのことをいいます。だから人間が迷っているのではなく迷いの存在を人間とおさえるのでしょう。

一つには決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、常に没し常に流転して、出離の縁あることなしと信ず。 

『観経疏』善導大師

一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心なし。
『教行信証』信巻 親鸞聖人

ここに「曠劫よりこのかた、常に没し常に流転して」、「無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで」とあるように私が生まれてから迷っているのではなく、生まれる前から迷っているのだと、迷というものの深さが表現されています。人間よりも迷いの方が根源的であるのだから、人間として生を受けるということは、すなわち迷いの身をいただいたということになるのです。だから私たちは迷いの身であるということを意識している時もそうでない時も常に迷いの身を生きているということになるのです。うっかりすると私たちは思い通りにならなくて人生に行き詰った時だけ迷っているのだと思ってしまっていますが、そうではなかったのです。

仏さまはその迷いの身を生きる私たちをなんとか救おうと、私たちの迷いに応えるようにどこまでも寄り添ってくださっています。しかしそれははじめから仏さまの深いお慈悲があって、それによって私たちが救い摂られるというよりは、如来摂取の縁にあずかった人が仏さまのお慈悲の深さに気づかされるということなのだと思います。
だから親鸞聖人は和讃で

十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる
『浄土和讃』親鸞聖人
と詠われるのです。
ここに「摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」とありますが、お念仏とは如来摂取の縁にあうことができた人の喜びの声なのです。はじめから阿弥陀と私がいてお念仏によってその二つが結びつけられるのではなく、如来摂取の縁にあった人が阿弥陀と呼んだのです。だから宗教体験が先なのです。その時の感動を出遇った人が「おぉ阿弥陀よ!」と思わず声をあげるのです。それはどんなに喜んでも喜びきれない、そんな大きなものにであった時の感動なのです。

十方諸有の衆生は
阿弥陀至徳の御名をきき
真実信心いたりなば
おおきに所聞を慶喜せん

『浄土和讃』親鸞聖人
また、なぜ出遇った人がその感動の声をあげることができたのかといいますと、それは仏さまのほうが私たちに先立って名告ってくださっていたからである。
自らの迷いの深さというものに触れながら、そんな私だからこそなんとか救わんとその迷いの深さに応えてくださる如来のお慈悲の深さに触れ、それを喜びとしていくのです。そしていよいよ念仏しなければいけない身であるというところに帰っていくのです。そして帰り続けるのです。

2010年8月16日月曜日

亡き人に念仏申すのではない 亡き人に念仏申さしめられるのです

金沢のお盆は7月ですが、一般的にお盆休みは8月のお盆にしかありませんので、遠方の方を中心に多くの方がお墓参りにいらっしゃいます。猛暑の中、墓前で手を合わせる姿を頭が下がる思いで拝見させていただいていました。そんな姿を拝見させていただきながら、やはり亡き人の力はスゴイなぁということを改めて知らされました。法話などで私たちがお念仏をしましょうと呼びかけてもなかなかお念仏をしようという気持ちになる人は少ないかもしれませんが、亡き人を前にすると普段手を合わさない人であっても自然と手を合わせるのです。それは亡き人のために手を合わせているというよりは、亡き人に手を合わせしめられているのだと思います。「亡き人に念仏申す」という時、念仏を自分の所有物にしてしまっていますし、亡き人を念仏申す必要がある存在として対象化してしまっています。亡き人を祈りの対象にしてしまうということは、亡き人を祈る必要があるもの(迷いの存在)とみなしているということになります。

そもそも亡き人を前に私たちは何かしてあげることができるでしょうか。生きている時であっても難しいのに亡くなってから何かしてあげることができるのでしょうか。どうすることもできないからといって「ご冥福をお祈りします」という都合のいい言葉で亡き人を祈る対象に追いやってしまっているのが、私たち現代人が亡き人に接する時の姿勢なのではないでしょうか。そういう姿勢からは自らを問うということや、本当は私たちの在り方のほうが問われているのだということがなかなか見えてきませんし、そこから自らの無明性が明らかになることは難しいと思われます。

私が亡き人を祈るのではなく、反対に亡き人に私たちが祈られていた。亡き人を念じるのではなく、亡き人に念じられていた。そういう私であったということに目覚める時、そこに念仏せしめられるということが起こってくるのです。念仏するはずの無い私が亡き人を縁に念仏申している、そのことが驚きであり不思議。世の中には不思議なことが沢山ありますが、今こうしてここに生を受け、念仏申さしめられるているということが一番不思議なことなのです。

2010年7月10日土曜日

ご先祖さまの遺言は 南無阿弥陀仏

平安時代の歌人和泉式部は幼い子を亡くし

"子は死にて たどり行くらん死出の旅 道知れぬとて帰りこよかし"
 
と嘆かれました。あの世への道で迷子になって「お母さん教えて」と帰ってきてくれたらなぁと儚い願いを歌にされています。まさに亡き子を思い、心配する親心でいっぱいの詩です。

私たちはいろいろな願いを持って生きている。願いどおりになることもあるしそうならないこともあります。しかし死を前にした時、その願いというものはどれはどれほどの意味をもったものなのであるのでしょうか。死の目の前では霞んでしまい、何の役にも立たない儚い願いなのではないでしょうか。

また人の死は、私たちの願いを打ち砕いてしまいます。どんなに生きて欲しい、あと少しでもいいから生きて欲しいと思ってもどうすることもできないのです。和泉式部は子を亡くされたわけですから、その悲しみはどんなに深いものだったのかこの歌からも想像するに難くありません。子の死というものを受け取ることができずに、絶望の真っ只中にいるのです。
 
ところが、その和泉式部が仏の教えに出逢って、考え方が変わります。

"夢の世に あだにはかなき身を知れと 教えて帰る子は知識なり"

お母さんあなたも夢ののようにはかない身を生きているのですよということを、幼い我が子の死を通して気づかされたのです。幼いいのちをかけて、そのことをお母さんに教えようとしていたのです。

私たちは親しい人を亡くした時、「あの子は今頃どうしてい るだろうか」「あの人はどこにいったのだろうか」と自分の立場からしか亡き人を見ていません。だから亡き人を迷いの存在と思い込み、何か少しでも亡き人のためにできることはないであろうかと法要やお墓参りをするわけです。しかしよく考えてみますと、ご先祖さまを迷いの存在とみるわけですから、ご先祖さまに こんな失礼な話はないのではないでしょうか。またお釈迦様は亡くなった人のために教えを説いたわけではないでしょう。

和泉式部は絶望の中に仏の教えに出遇われたわけですが、これは子の死が和泉式部に仏教と出遇わせたということです。母が亡き子に何かしてあげようと思っていたのですが、反対に「夢の世に あだにはかなき身を知れ」と教えられたのです。今度死ぬのは私の番なのです。迷っていたのは亡き人ではなく、この私が迷いの身を生きていたのです。子の死を通してそういう迷い の身に気づかされていかれたのです。子を亡くした悲しみは決して消えることはありませんが、悲しみは悲しみのまま、その死に意味を見出していかれたのでした。それはそのまま子供を諸仏として見出しているということであり、ここでは知識すなわち善知識として語られているのです。


法事やお墓参りでも、お参りが終わって、やれやれこれで一 つ片付いた、ご先祖様も喜んでくださっているだろうと、一区切り付けていくのではなく、法事を通していよいよ念仏することでしか救われることのない身でしたと、いよいよ念仏せざるを得ない身であることを気づかされる、そういう場であるのです。念仏してくれよという亡き人が伝えてくださる仏様の願いに耳を傾 けていかなければいけません。意味を見出すことができなければそれこそ、その死が無駄なものになってしまい、そこには単なる絶望や悲しみしか残らないのではないでしょうか。亡き人を諸仏(善知識)として見出すことができたとき、本当の意味で先祖供養ということがあるのだと思います。供養とは私たちがお参りしてご先祖さまを喜ばせたり慰めたりすることではなく、本当に尊敬するものが見つかったということです。尊敬する人として亡き人を見いだせたとき本当の意味で先祖供養ということになるのでしょう。


人は去っても
その人のほほえみは
去らない

人は去っても
その人のことばは
去らない

人は去っても
その人のぬくもりは
去らない

人は去っても
拝む掌の中に
帰ってくる

中西智海

念仏するところに亡き人とも遇える。

2010年5月27日木曜日

癌や事故が死の原因ではない 本当の原因は生まれてきたということです

先日の新聞に厚生労働省が公表したがん対策推進基本計画の中間発表が記載されていました。



「厚生労働省は15日、がん対策推進基本計画の中間報告書を公表した。2007年度からの5年計画がどれだけ進んだかをまとめた。

 「75歳未満のがんによる死亡率を10年間で20%減らす」という全体目標については、3年間で6%減少しており、おおむね順調と評価した。

 一方、「がん患者と家族の苦痛軽減と、療養生活の質の維持向上」というもう一つの全体目標については、達成度を評価する尺度がないことを指摘。評価指標 を早く設定することや、患者の経済的負担の軽減にも取り組むことを求めた。

 予防面では、未成年の喫煙を3年以内になくす目標が達成できていない。また、子宮頸(けい)がんワクチンの接種などを国として積極的に推進すべきだとした。」




この発表によるとガンによる死亡率は減少してきているよう です。一昔前はガン=死のようなものでしたが、目覚しい医療の発展により、生存率が上昇し早期発見さえできればそれほど恐れる必要がなくなってきているのかもしれません。しかしこれはあくまでもガンによる死亡率の話であって私たちの死亡率は100%なのです。

誰でもガンになんかなりたくありません。もしガンにな れば誰もがガンを克服したいと願うことでしょう。それに応えてくれるのが医療であり医学なのです。その恩恵により寿命も延び日本は世界に誇る長寿国となりました。しかし長寿になることでガンの発症率は上昇しているのかもしれません。現代より短命の時代では恐らくガンが発症する前に寿命が尽きていたであろうと思われますし、たとえガンを克服したとしても長く生きるほど今度は再発や転移などの恐れがあるからです。つまり何を言いたいのかと申しますと結局死から逃げ切れ無いということです。ガンの人はガンを克服できた時「助かった」とか「救われた」と表現されるでしょうが、それは本当に助かったことにならないのです。よく言って元の状態に戻っただけで、また他の病気になるかもしれませんし、再発する可能性だってあります。今度は脳梗塞で倒れるかもしれません。生き残ったことによって、別の病気と付き合っていかなければならなくなるかもしれないですし、病気にならなくても事故に合うかもしれません。このように病気 になった→助かったを繰り返し一喜一憂しているのが私たちです。しかし死からは逃げ切ることは不可能ですから、結局助からなかったということになるのでは ないでしょうか。生こそすべて、それも健康で生きがいのある生こそが私だと生きている人にとって死とは敗北であり絶望でしかありません。

生のみが我等にあらず
死も亦我等なり
我等は生死を併有するものなり

清沢満之

普段、生のみを私として生きています。だから死とは私が死ぬということですから死を未来のこととし、今の私にはとりあえず関係のないこととしてしまっているのではないでしょうか。しかし生と死はコインの裏と表、 ドアの内と外のように、本来生死一如であって死を離れて生というものは成り立たないはずです。しかし生こそすべて、生こそが私と生きています。それではその私という者とは一体何者なのでしょうか。いずれ死する私という立場から生というものを受取り直してみると、これまでとは違った生の姿がみえてくるかもしれません。

また私たちは、生とは自分が生まれるということであり、死とは自分が死んでいくことであると、そういう「思いの中の生死観」を創造して自分を人生の主人公としその主人公である私の思いを大切にして生きているのではないでしょうか。賜ったいのちを自分のものであると握りしめて苦しんでいるのが私たちなです。この世に生を受けた身体は老い、やがて病み、そして死すということは頭ではわかっているつもりでも、思いはそれらを受け入れることが出来ないのです。自分というものをどう受け取っていけばいいのか分からないのです。人生が思い通りにいっているときはそのような悩みは起こってこないはずです。しかし受け入れがたい事実に直面した時に苦悩というかたちで私とは一体何者であるのかと問わずにはおれなくなる。そういう宗教的歩みを苦悩をとおして促してくるはたらきを本願といいます。

私たちの願いといえば例えば無病息災であったり交通安全といった独りよがりの願いです。自分さえ、自分の家族さえ助かれば、隣の家がどうなっていようが関係ないのです。自分の病気さえ治れば満足なのです。しかし、そのような個人的な満足では本当に満足できないのがいのちを私たちは生きています。個人的満足を求めて生きている私たちですが、本当に満足できるものに出遇いたいといのちの根底では願っているのです。個人的な思いや願いを破るものに出遇いたいのです。


命が
いちばんだと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより
大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった

星野富弘


自分が可愛い 
ただ それだけのことで 生きてきた 
それが深い悲しみと
なったとき ちがった世界が ひらけて来た

「回心」 浅田正作

どちらの詩も自分より大きなもの、自分を包み込むような大きな世界にであい、自分の思いが破れた時の感動を詩にされたのだと思います。普段私たちは、男の世界、女の世界、大人の世界と子供の世界いうようにいろいろな世界をつくりあげて、他の世界のものには自分のことなんかわかるまいと自分の世界に閉じこもって自分の世界を、思いを守ろうとしています。いやそんなことはない。私は何事に対しても精一杯努力をして一生懸命がんばって生きているのだと主張される方もいらっしゃるかもしれません。しかし私たちの努力とは自分の世界の中の努力であって、その努力が評価されなかった時、なんのために…となりかねません。結局のところ自分の思いを一歩もでていないのです。そして 念仏でさえも自分の思いの中で称えてしまっているのです。念仏して助かったと思ってみたり、こんなことで本当に助かるのかと思ってみたり…自分の思いの中で一人相撲をとっている、そういう自分の思いの中の世界こそ私だと思っていた。思いがけず、自分の思いが破れ、自分、自分と主張してきた狭い世界を出た、そこにそんな自分をも包みこむような大きな世界が広がっていたのです。しかも自分だけではない、みんないたのです。その世界を阿弥陀の国といい、浄土というのでしょう。この世界に立つとき、そこから私たちの人生というものが見直されてくるのだと思います。生死の中で、自分の思いのなかでこれが自分だと生のみに執着し自分というものが受け止められず苦しんでいる私たちですが、生死を超えた世界から人生を受け止め直すことによって生死を貫いて歩んでいくことができるのではないでしょうか。

自分の思いでは自分を受け止められないが、そんな自分が仏さまに受け止められていたのです。

2010年4月17日土曜日

呆けたら終りといいながら 生存呆けしている私たち

現在、「呆け」という言葉は差別用語にあたり公の場ではほとんど使用されなくなりました。もう使用されないから死語になってしまったかといいますと日常会話などではまだまだ口にすることがあるのではないでしょうか。特にお年寄りが「ボケたらワッシャもう終わりじゃ」と口にすることをよく耳にします。

またこれまで「呆け」→「痴呆症」→「認知症」と言い方だけを変えてきましたが、仮に「呆け」という言葉を差別的に使用していたとするならば、言葉の上っ面だけを変えたとしても、私たちに差別心がある限り、いくら表現を変えても差別はなくなりません。今回の掲示にあえて差別用語である「呆け」という言葉を使用したのは、もちろん差別心によるものではありません。また曖昧かつより難しい表現を使用することによって、私たちが持つ差別心というものを覆い隠し、ますます腫れ物に触るようになってきているような気がしてなりません。

「呆け」という表現の使用を推進しているわけではありませんが、私は「呆け」という言葉にはおおらかさを感じます。「ボケたら終り」とはいいますが、もし呆けたとしても許せるようなおおらかさがあるような気がするのです。「認知症」と言ったときは「原因は何々で~」「こういう薬があって」「ならないためには~で」というように何か力が入っているというか、病気だからなんとかしなくてはいけないということが優先されて、その言葉の陰では認知症の人を否定してしまっているということはないでしょうか。

「呆け」のほうは流に逆らわずより自然な表現のように思います。最近テレビCM等で「薄毛はお医者さんの薬で治ります」とよく目にしますが、これまで「ハゲ」「薄毛」という自然現象で済んでいたというか諦めていた(?)のに本当に治るのか知らないが薬で治せるという。薄毛をまるで病気のように扱い、治療すべきことであると。これはハゲではだめなんですよーということを暗に示唆しその人を否定している感が否めません。何でも病気扱いにし、それを克服していこうと自然から逆らい、その陰でそういう症状の人をいつの間にか否定し差別し排除してしまっているのが現代なのかもしれません。

話が脱線しぱなっしですが、今回の掲示でなにが言いたかったといいますと、呆けた人は決して呆けていないのだ。呆けているのは私たちの方だということです。これはほとけのいのちから私たちの在り方を見るとそのように見えるのです。通常の呆けというのは理性や知性が呆けたことをいい、理性を基準に呆けたか呆けてないかを判断しているのですが、今はいのちを基準に考えてみると実は呆けているのは私たちの方ではないかということを言いたいわけです。高齢になり呆けるといっても、理性が呆けるだけで、人間存在そのものが呆けるわけではないのです。ある先生によると、呆けると3歳以前の幼児に帰るそうです。物心がつき自我とともに芽生えた知性や理性が呆けるだけであって、その人のいのち、その人そのものが呆けたのではないということです。ありのままを生きているだけであって、呆けて自らを見失っているわけではないであり、いのちの願いのまま生きているという自然の相を私たちに見せてくださっているのです。反対に私たちはどうかといいますと、思い通りにならないと自分を裁き、他を裁きなかなかありのままを受け止めいきていくことができません。本当のいのちの姿というものが理性や知性に覆い隠されてしまい、ほんとうのいのちの相が見えなくなっているのではないでしょうか。このように本当のいのちの相を見失ってただ自分の思いに流されながらいきているものを生存呆けというだと思います。

理性や知性は呆けてもいのちは呆けません。理性や知性でいのちを暈しているのが私たちなのです。

2010年3月1日月曜日

念仏あるところに花開く ほとけの花が


詩人である坂村真民さんの詩にも「念ずれば花開く」という有名な一句がありますが、ほとんどの方は「念ずれば夢が叶う」という意味として受け止めてらっしゃるのではないでしょうか。私の母校でもある甲子園で有名な(最近はサッカーのほうが有名かも…)野球部の室内練習場にも「念ずれば花開く」と書かれた横断幕が掲げられています。コツコツと努力を積み重ねていけば、必ず甲子園優勝という夢が叶うのだ、だから厳しい練習だけれどもがんばろう、必ず報われるはずだというふうな意味合いなのではないでしょうか。

思えば、私たちは物心がついたころから、周りから真面目に努力すれば夢が叶う、だから「がんばれ、がんばれ」という周りの、そして自らの声援に「何のために勉強しているのか」、「がんばれば本当に夢がかなうのか」という率直な問いがかき消され、とにかく自分を信じて必死でがんばる生き方をしてきたような気がします。

このような生き方をしてきた私たちですから、「念仏あるところ に花開く」と聞いても念仏することによってその結果、自分の願いが叶う(花開く)のだろうと考えてしまうのは無理もないことだと思います。ですので今回の 掲示にはあえて「ほとけの花が」という言葉を置き、自分の願いがかなうということではなく、ほとけの願いがかなうのですよということを強調してみました。

涅槃経というお経に「一切衆生悉有仏性」とお言葉が何度もでて きます。生きとし生けるものはことごとく仏性(仏になる種)を持ってるという意味です。私たちは仏になる種を持っていながら、その種から花を開かせる縁になかなか出会うことができません。いやその縁は無数に頂いているいるのですが、自分自身の花を咲かせようと一生懸命で気づくことができないのです。また仮に夢が叶ったとしても私たちが咲かせることのできる花はあっという間に散ってしまう儚いものです。夢破れてどうにもならなくなった、もうがんばることができない、花を咲かせてみたが枯れてしまい、何のために頑張ってきたのかと虚しくなる。その時はじめて立ち止まるということがあるのではないでしょうか。私たちは立ち止まることを恐れて走り続けていますが、立ち止まって視点を内側に転じるということが必要なのだと思います。私自身の願いではなく、いのちそのものがもつ願いに耳を傾けるということが起こる時はじめて今まで光があたることなど一度もなかった仏の種に光があたるのでしょう。これまで自分自身で遮り続けてきた光がようやく種まで届いたのです。私たちが作り出してきた闇にとうとう光がさしたのです。そして光が種まで届いた時、ほとけの花は自然と咲くのでしょう。

いったんほとけの花が咲いてみれば、周りにも無数のほとけの種を発見することでしょう。私だけではない、生きとし生けるものすべてに仏の願いがかけられていたのです。年齢も性別も人種も貴賎も善悪も生まれた時代も問わず、さらには何教の信者であったとしても、ひとしくほとけの花が咲くことを願われている、そういういのちを共にいただいて生きている仲間だったのです。 そこに共に生きるという世界が開かれてくるのだと思います。あぁ、あなたも同じ願いに生きる仲間であったのだと。私たちは各々自分勝手な願いに生きている ようにみえますが、その根底には共通の願いが流れているのです。

舎利佛、もし人ありて、已に願を発(おこ)し・今願を発し・当に願を発して、阿弥陀仏国に生まれんと欲(おも)わん者は、このもろもろの人等、みな阿耨多羅三藐三菩提を退転せざることを得て、かの国土において、もしは已に生じ・もしは今に生じ・もしは当に生ぜん。

『仏説阿弥陀経』

ここでは、已に願いをおこした人や今願いをおこす人だけが不退転の悟りを得るのではなく、これから願いをおこす人も未来の仏として見出されています。まだ願いをおこしていない人であっても、きっといつかあなた自身に流れている願いに目覚めてくれるはずだと、きっとあなたにもほとけの花が咲くはずだと、このように信じ寄り添い続けていくというところに同朋という世界が開かれてくるのではないでしょうか。

私たちは自分を信じ自分の願いを叶えようと努力しますが、すでに信じられているあなたというものに目覚めて下さい。個人的な願いを満たすことでは決して満たされることのない、いのちの願いに目覚めて下さい。きっとあなたにもほとけの花が開くはずです。

2010年2月1日月曜日

私ー鬼=鬼 私+福=鬼

節分になると「鬼は外、福は内」と豆まきをしたり縁起を担いで恵方巻きを食べたりするのが、恒例となっています。私の地方ではあまり恵方巻きを食べる習慣はあまりありませんが、2歳になる私の娘は「鬼は外♪福は内♪」と無邪気に歌っています(笑)人はなにも節分の日だけ「鬼は外、福は内」という生き方をするのではなく、人間という存在そのものがそういう生き方をしているのではないでしょうか。私たちが意識しようがしまいが、365日節分のような在り方をしてしまっているのです。自分にとって都合の悪いことをできるだけ遠ざけ、自分にとって善い条件をできるだけ集めるという、そういう在り方を仏教では罪福信という言葉で教えてくれています。善いことをすれば幸せになり、悪いことをしたら不幸になるという考えを信じ込んでいるのです。ですから自分にとってのマイナス材料をなるべく減らし、プラス材料を積み上げて幸せになろうとするのです。歳を重ねるごとにマイナス材料が増えていくような気がするのですが…とにかく自分にとって損か得か、善か悪か、苦か楽かというように自己中心的な視点からしか物事を見ようとせず、またその事が苦しみの原因とも知らずに生きているのが私たちです。

私は大学に入ってはじめて仏教を、また親鸞聖人の教えを本格的に学びました。修士課程まで進み、少し親鸞聖人の教えがわかったつもりになっていた私は「鬼は外、福は内」とご都合主義的な生き方をしている世間の人を見下していたところがあったのではないかと今になって思われます。自分は念仏の教えを学んだのだから「鬼は外、福は内」という生き方から少し離れたところで生きていると勘違いしていたのです。口では自らを凡夫(鬼)といいながら、本当にそういう生き方をしている自分を直視するということがなかったのでしょう。ですからいつも自分のことを棚にあげて他人の生き方を裁いてばかりいて、実は私こそが「鬼は外、福は内」という生き方をしてることに気づいているつもりで気づいていなかったのです。他の誰でもない私こそ休むことなく今この瞬間も「鬼は外、福は内」という自らの幸福のみを願って共に生きるということとはほど遠い生き方をいつのまにか生きてしまっている私だったのでした。念仏するとそういう生き方から無縁になるのではなく、念仏の智慧によっていよいよ「またいつのまにか自分勝手な幸せを願っていた鬼だったなぁ」ということに気づかされていくのです。

また念仏によってそういう自分から目を離すことが出来なくなるということは、ある意味悩みが増えるということかもしれません。しかし悩みが増えたということは、今まで問題になってこなかった自分の生き方に問いをもつようになったからに他なりません。念仏の智慧によってかえって悩みや問題が見出されてくるのですが、それは同時にそこに仏さまがはたらいておられる証でもあります。

確かに親鸞聖人の教えに学んだ人は豆まきをしなくなるのでしょう。しかしそれは念仏の教えを聞いているからといって豆まきをしないから自分は大丈夫というところに安住しているだけなのかもしれません。今はそういう縁はないかもしれないけれども、いざ自分がそういう立場になったら、やはり福を願ってしまうのが私たちです。 だからといってそこに居直るのであれば念仏の教えは必要ありません。自らを問題とし、信を問い直すという視点が念仏者に育てられていきます。悩みや疑いを縁として信心というものを掘り下げて行く、それが念仏者の生き方であり、鬼が鬼のままで救われていく道なのです。

2010年1月2日土曜日

白い息 残る足跡 冬は見えない世界を 教えてくれる

突然ですが、私は冬が好きです。気温が下がり、身が縮こまり、外に出たくなくなるような憂鬱な寒い日が続くのですが、私はその寒さに身が引き締められ、冬の澄んだ空気のように私の精神も研ぎ澄まされていくようで好きなのです。特に学生時代を過ごした京都の冬はほとんど雪が積もることはありませんでしたが、とにかく空気が冷たく、皮膚に風が突き刺さり、親鸞聖人の比叡山での修行を思い起こさせられるような厳しさでした。しかし冬は厳しさばかりではありません。現在の居住地である故郷金沢の冬には厳しさだけでなく、やさしさも感じる時があるのです。北陸の冬は太平洋側ほど乾燥しないからということもありますが、一番大きな原因は雪が降るということにあると思います。雪が降らない地域の方は信じられないことかもしれませんが、雪の積もった日は温かいのです。雪が降るのですから、実際は気温が低いのですが、不思議と温かく感じるのです。まるで街全体が雪の布団をかぶっているかのようです。ビルも家も道路も山も木々もすべて別け隔てなくすっぽり覆ってしまう様に歎異抄の「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」(『歎異抄』第一章)というお言葉を思い起こされます。


冬は普段目に見えないものを見せてくれます。

・「白い息」
気温が低くなると、吐く息が白くなり、普段見ることのない 吐息の動きを見ることができます。私たちは普段当たり前のことのように、一息一息、意識することなく息をしています。「白い息」に私が意識していようがしまいが息をし呼吸をしているということに気づかされます。私たちは自分の力で生きているように思っていますが、私が頑張っているから生きているわけではありません。そもそも自分で生まれようと思って生まれてきたわけではないですし、私が頑張っているから心臓が動いているわけではありませんし、呼吸をすることができるというわけでもないでしょう。私が頑張らなくても寝ている時だって休まずに呼吸をしてくれています。
私は以前、過呼吸という病気になったことがあります。この病気は血中の酸素濃度の上がりすぎることによって発症するのですが、全身が痺れ意識が遠のき、とにかく息苦しくて、息を吸っても吸っても苦しくて呼吸を意識すればするほど、上手く呼吸ができなくなり、パニックに陥ってしまうのです。普段当たり前にしている呼吸がこんなに難しいなんて!それと同じでいのちを 自分のものと私有化すればするほど、人生に苦しむことになるのではないでしょうか。


・「残る足跡」
雪が積もると普段見えない足跡が残ります。普段目に見えませんが、先人の大変なご苦労の上に私たちの生活があることを思い出させてくれます。迷い、苦悩し、命をかけてこられた末に今の私たちがあるのです。同じように、今ここにお念仏の教えが伝えられているという背景には、親鸞聖人をはじめ、お釈迦さま、過去無数の諸仏、名もなき無数の念仏者のご苦労があるわけです。そのご苦労を戴いていくのが念仏の教えであると思います。それは従果向因の教えであるといえます。世間の教えの延長で称える念仏は従因向果なのでしょう。 つまり念仏する(因)ことによって救われ(果)とする。それでは念仏が手段になってしまいます。そうではなく、今思わずでてきてくださった念仏の一声 (果)から法蔵菩薩のご苦労(因)に遡っていくのです。果を求めて努力するのは自力の道であり、他力とは因を戴いていく道なのでしょう。

「お陰様」という言葉がありますが、因を戴いていくところから出てくる言葉だと思います。それは文字通り目に見えない「陰」を戴いていくということでありますが、同時に見えない世界に支えられている私であったと気づいていくということです。私たちは物事が自分の都合よくいった時や何事もなく無事である時によく「お陰様」という言葉を使いますが、自分の思い通りにいった時は誰だって「お陰様」と言えるのです。思い通りにいかない時でもそう言えるでしょうか。

思い通りにならない自分をも支えてくれているものがあるということに気づけた時、はじめて本当の意味での「お陰様」ということがあるのではないでしょうか。

目に見える世界は目に見えない世界に支えられています