2007年2月6日火曜日

まことのことばによって見出される本当の私

突然ですが、皆さんは自分自身のことを知っていますか?こんなことを言うと自分のことだから自分が一番知っているといわれそうですが。。。しかし多くの人は自分とは大体こんなもんだろうと曖昧にしているのではないでしょうか。知っているようで、実はよくわからないのが自分なのかもしれません。

普段私たちのいう自分とは、他人の言葉によってこんな人間だと作り上げている自分なのです。他人にかわいいと言われれば、その気になってみたり、他の人と比較して背が 高いとか低いとか、勉強ができるとかできないとか、性格が良い悪いとか挙げたらきりがありません。このように自分で思い込んでいる自分というのは、ほとんどが他人との比較によって見出されているのです。ですから縁次第で自分の解釈が変わってしまいます。縁次第でいままで思ってもみなかった自分に出会うこ ともあるのです。だからそんなところには本当の自分などありません。

それでは自分とは一体何者なんでしょうか。よく考えてみると自分といっても自分の意志で生まれてきたわけでもないですし、いつ死んでいくのかさえもわからないのです。 自分の人生だから好き勝手に生きて何が悪いとよくいいますけれども、自分の人生なのになにもわかっていないのです。暁烏敏先生は「宗教の第一歩は、実にこの自己を知ると云うことである。真に自己の何者たるかを自覚するところに、真の信仰が生まれてくるのである」といわれ、また清沢満之先生は「自己とは何ぞや。これ人生の根本的問題なり」といわれるように自分を知るということなしに本当の意味での人生はありません。
 
本当の自分に 気づかせてくれるのがまことのことば(南無阿弥陀仏)なのです。真実なものに触れることによって、私とはそれと全く正反対な存在であるということが自覚さ れるのであります。それは自分自身についての深い目覚め(機の深信)です。この深い目覚めがあるところに自分の人生にも本当の意義が生まれてくるのではな いでしょうか。