2009年11月30日月曜日

自由、自由と思っていたら そのこころが不自由であった

人はこの世に生を受け、物心がついたころから自由を追い求めて止まない存在なのかもしれません。しかし自由を求めながら、その自由というものがよくわかっていないということはないでしょうか。私たちはよく「自由」や「平和」といった言葉を口にしますが、自由とはどういう世界を自由というのか、平和とはどういう世界を平和というのかわからないで、追い求めているような気がします。「自由平等」「世界平和」などと言いながら、目指す世界がはっきりしていないのです。お互いに束縛し合わず、お互いに干渉し合わないで自由に生きていくことができる世界が自由な世界なのでしょうか。戦争や争い事がなければ 平和なのでしょうか。


動物は生まれてすぐ立ち上がり、自らの力で生きていこうとしますが、人間は生まれた瞬間から、人の手を借りなければ生きていくことができません。両親をはじめ多くの人のお世話になりながら成長するのでしょう。それなのに親からの自由、学校からの自由、社会からの自由というように、関係を絶つことによって自由を手に入れようと藻がき苦しむのです。関係の中でしか生きられないのに、関係を絶つことによって自由を手に入れようとすること自体無理があり、ものすごくエネルギーを消耗してしまいます。だから、親や学校や社会に反抗していた思春期を過ぎると今度は逆に社会人として会社の、そして世間の歯車の一部になることで安心を得るようになるのです。

また結婚をし家庭をもつという行為もより人間関係を複雑なものにし、自由が奪われてしまうにもかかわらず、それを求めようとします。人は自由を求めていますが、ある意味仕事や家族や社会に拘束されていたほうが楽なのかもしれません。「明日から自分の好きなように自由に生きてください」と言われても、何をして生きていけばいいのか分からないのが正直なところではないでしょうか。

自由を求めていたけど、いざ自由になってみると今度は自由であることが不安になってくるのです。ということは自由を手に入れた瞬間、もう自由でなくなってしまっているということになります。束縛されていても落ち着かない。また自由でも落ち着かない、そんな生き方をしているのではないでしょうか。

私たちが求める自由とは、今自分を拘束し束縛している障害から解放された状態になることであって、目先の自由です。さらに自分さえ自由になれるのであれば、他人の自由を奪ってでも手に入れようとする身勝手な自由なのです。これらは本当の自由とはほど遠いもののように思います。

私たちは現在の不自由という思いに囚われ過ぎて、なんとかしようと苦しんでいるのですが、不自由という結果ばかり見て、なぜ今不自由に感じているのか、なぜ苦しいのかその原因を見ようとはしないのです。さらに不自由の原因を「外」に求め、外へ外へとなんとかしようとしています。視点を「外」から「内」に転ずるということが起こらない限り、本当の自分の姿を見るこ とができません。仏の智慧に照らされてはじめて不自由な姿というものがはっきりしてきます。

その時、自由に執着する自分の思いこそ実は苦しみの原因 だったことに気付かされるのです。自分の思いがまさに不自由だったのです。そのことに気づくことができた時、その不自由な思いから自由になることができるのではないでしょうか。それは自由な私に生まれ変わるのではなく、不自由な私を私として生きていくことができるということです。私たちは、自由と不自由を対義的に理解していますが、本当の自由とは不自由をも包み込みこむものでなければなりません。

超世の悲願ききしより
 われらは生死の凡夫かは
 有漏の穢身はかわらねど
 こころは浄土にあそぶなり
 
『帖外和讃』

本当の自由とは自由であであろうがなかろうが、うまくいっていようがいなかろうがこれも自分なんだと受け止めていくことができるということではないでしょうか。これはもちろんおまかせだからどうしようもないと諦めているのではありませんし、どうなってもいいやとやけくそになっているわけでもありません。
人生を投げ出さず自分のこととして受け止め、能動的に生きる道、それを「無碍の一道」(『歎異抄第』第七章)というのです。

どんな私であってもいいのです。そのままで意味があたえられている、存在の自由とでも言ったらいいのでしょうか。自己の自由が見出された時、同時に他者の自由も見出されることでしょう。自由だ、不自由と身勝手なことを言い続けている私たちですが、どんな自分であったとしても、そんな私をも見捨てないで支えてくれている、そんな私だからこそ仏様は常に寄り添ってくださっています。実は見失っているのは私たちの方なのでした。仏様は見失い続けている私たちに呼びかけてくださっています。その呼びかけに耳を傾けるということが、自己を問うというかたちで、念仏者として私たちを歩ませるのでしょう。

自己を問うということがおこる時、自分の根底から問い返されているということに気づかされ、問われていた私というものが明らかになるのです。


今なぜ不自由と感じているのか考えてみませんか。

2009年10月7日水曜日

私が南無と思うていたら 仏さんに南無していただいておった ナムアミダブツ・・・

「南無」の言は帰命なり。ー中略ー
「帰命」は本願招喚の勅命なり。  
               
『教行信証』行巻 親鸞聖人


帰命=南無とは本願に気づいて欲しいという仏様の叫び声です。

私たちが南無するのに先だって仏様はいつも私たちに南無してくださっています。
仏様を信じていようがいなかろうが、念仏を称えていようが いなかろうが、起きているときも寝ているときも、たとえ仏様のことなんて一度も考えたことも思ったこともないような無関心な人であろうとも、いやそんな私たちだからこそ見捨てておくことができずに、きっといつか気づいてくれるはずだと、なんとかして私の(仏様の)願いを届けようと南無してくださっておられるのが仏様です。私たちを信じ呼びかけてくださっているのに、煩悩が邪魔をして煩悩具足の身には呼び声が仏様の呼び声として響いてこなのです。

私たちは自分の願いを叶えることに一生懸命ですから、「あれもしたい、これもほしい」と自分の声ばかりうるさくて仏様の声などまったく聞こえないのです。そして思い通りにならなかったならなかったで今度は「なぜこんな目に…」と愚痴の声がやかましい。こんな救いようのないのが私たちの姿です。他の仏様ならもう愛想尽かして見捨ててしまうのではないかというくらいどうしようもない姿。しかし阿弥陀さんは私たちを見捨てることは決してありません。なぜなら阿弥陀仏になる以前、すなわち法蔵菩薩であった時、私たちのありとあらゆる苦しみをすべて味わっているからです。そこに阿弥陀さんが因位を持つ大切な理由があるのだと思います。
また『教行信証』真仏土巻には


仏をまた「地獄・餓鬼・畜生・人・天」と名づく
                     
『教行信証』真仏土巻 親鸞聖人


と涅槃経から引文されています。
地獄・餓鬼・畜生・人・天とは流転する私たちの迷いの姿です。仏様は仏の位を投げ捨ててどこまでも迷い続ける私たちを見捨てることなく寄り添い続けてくださっているのです。
また十八願だけではなく十九願・二十願もお建てになられているところにも決して救いから漏らす人をだすまいとする願心の深さが伺えます。
とにかく私たちの苦しみを知っているからこそ、どんなことがあろうとも救わずにはおれずに私たちの苦しみを我が痛みとしてなんとかしようと、絶えることなく常に私たちに呼びかけてくださってるのです。

私たちの煩悩は頑固ですから、聞法する縁に恵まれて私たち凡夫は煩悩具足の身であると聞かされたとしても、なかなか自分のことを言い当てた言葉として響いてこないのではないでしょうか。わかっているようないないようなもどかしく感じることでしょう。

煩悩があるから私たちは救われないのではありません。もうどうしようもなくなっても、まだなんとかなると思っている自分がいるからなのです。もう駄目だと思いながらも、なんとかなる、きっとなんとかなるはずの自分を握りしめて自分で自分の首を絞め、苦しんでいるのです。どこまでも自分の力で自分の思い通りにしようとしています。このように自分を信じている私たちですから念仏で救われるといっても念仏が頼りなく感じてしまうのでしょう。どこまでも本願を疑ってしまっているのが私たちです。

なんとかなっている私が本当の私なのではなく、もうどうにもならないのが本当の私の現実であり、もっというと現実から目を逸らし、さらになんとかなると思い続けている自分こそが本当の自分なのだと思います。そこに本願を疑いつづけていた我が身が明らかとなるのです。明らかになった自分自身に立てた時にはじめて、もうどうすることもできない自分自身に頭が 下がるということが起こり、思わず念仏がこぼれでる。

南無と頭が下がるということは、私たちに先立って私たちを信じ、南無し、念じてくださっていたということがあるからこそ、仏を念ずるということが私たちにおこってくるのです。そのことを『歎異抄』(第一章)では「念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき」と表現されたのでしょう。南無阿弥陀仏とは私たちが南無と何かお願いしているということではなく、南無してくださっている仏様の願いをきちんと受け取った姿なのです。そのことを本願成就文では


「聞其名号 信心歓喜」

本願成就文


と仏の名を「聞く」という表現されています。
私たちにどうか私の名を称えてくださいという仏の願いを受け取るということはその仏の声聞くということです。仏の声がはからずしも私の処までとどけられた感動、その表白が信心歓喜の念仏であり、同時に届くはずのない私のところまで届けてくださった如来の願心を知らされ、そのご恩に報いずにはいられない、報恩謝徳の生活が始まるのです。


私たちは、仏様というとなにか遠いところにおられる偉いお方のように思ってしまいます。阿弥陀仏とはそれは本願のはたらきを自己とする名乗りにおいて名づけられた名です。智慧と慈悲のはたらき、すなわち本願のはたらきだけでは私たちには到底窺い知ることはできないので、具体的に阿弥陀とお名乗りになって私たちにもわかる言葉となって呼びかけておられるわけです。 そしてその南無阿弥陀仏という名前を私たちのところまで過去無量の諸仏が歓びつたえてこられたのです。単なる名前としてではなく具体的なはたらきとして、 その身をもって証明してくださっていたのが無数の諸仏なのです。その中でも直接的に私に届けてくださった方を特に善知識というのでしょう。


真の善知識というは諸仏・菩薩なり。別していうときは、われらに法をあたえたまえるひとなり。
                                 
『浄土真要鈔』存覚上人


親鸞聖人にとって直接の善知識は法然上人であったのでしょう。しかし法然上人だけでなくその法然上人を生み出した諸仏も法然上人以前に無数におられたわけなのです。お釈迦様は仏法をはじめて仏教という教えとして、わたしたちにでも分かるように具体的に説かれました。そして七高僧をはじめとする無数の諸仏が念仏者として生き、念仏者を生み出し育て、その身をもって本願を証明し親鸞聖人まで届けてくださったのです。そしてその念仏が今私たちのところにも届けられているのです。


去・来・現の仏、仏と仏と相念じたまえり。
             
『大無量寿経』

一人の念仏者の念仏には、私のところまで届けてくださった 過去無数の諸仏がいらっしゃるということです。それだけでなく、現在仏教に関心のない、たとえそういう人であってもいつかきっと気づいてくれるはずであると、すべての人を未来の仏として見出していく、そういう視点を賜るのです。自分の目覚めをとおして、すべての人にあるいのちの願いに気づいていくのです。 間違ってはいけないのは、私が仏になったから過去の仏、未来の仏と仏仏相念つまり仏様と心通じ合うことができるのではないのです。あくまでも身は凡夫で、 そういう身であるけれども、仏さまのお心を知ることができたということです。そういう人を御和讃に「信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたもう」 と表現されています。凡夫がそのまま如来だと言っているのではなく如来のお心に気づいた人を如来とひとしとおっしゃっているのでしょう。今ここにある念仏は、自分勝手な独りよがりな念仏なのではなく、過去、未来の仏から問われている念仏なのです。もうどうしようもない凡夫としてその問いかけに耳を傾けていくこと、それが念仏者の歩みなのだと思います。

一切の存在に仏を見出してくださっている、そのお方を仏様といいます。

2009年9月1日火曜日

生活の中に念仏があるのではなく お念仏の中に生活があるのです

現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくば、なになりとよろずをいといすてて、これをとどむべし。
いわく、ひじりで申されずば、め(妻)をもうけて申すべし。……
ひじりで申されずば、め(妻)をもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、ひじりにて申すべし。住所にて申されずば、流行して申すべし。

『和語燈録』法然上人


法然上人は念仏を称えることのできるような生活を送りなさいとここでおっしゃっています。結婚したら念仏を称えられるようになるのであれば、結婚すればいいのですし、反対に独身でないと念仏できないのであれば独身でいなさい。どんな生活をしていても、そこに念仏があり、念仏中心の生活が送れるのであれば、それでいいのですよと。

私たちは念仏中心の生活を送っているでしょうか?
念仏中心の生活すなわち「念仏の生活」ではなく「念仏も称える生活」になってしまっているのではないでしょうか?もちろん念仏することもあるけど、神様でも仏様でもお参りできるものであれば何にでもお参りし、 あっちのお寺もお参りしたし、こっちのお寺にもお参りした、とお参り自慢。ここにはこんな御利益がある、あそこではこんな御利益もあると、うまい話がある方へふらふらと、自分の都合で手を合わしたり、合わせなかったりとこんな具合ではないでしょうか。結局そこには念仏「も」あるけど、別に念仏でなくてもいいような気がします。

このようにいろんなところに頭を下げに行くということはありますが、頭が下がるということがなかなかありません。頭を下げるというのは「お願いします」と自分の都合で下げているだけですから、思い通りにならないとすぐに頭を上げてしまいます。頭が下がるというのは自分の都合で下げるのではなく、自然と下がるということです。頭を下げる対象を外に求めていくのではなく、視点を内側すなわち我が身に向けることによって知らされた我が身を知ることなしに頭が下がるということはありません。つまり仏智によってはじめて知らされたどうしようもない我が身を知るときに、その事実にはじめて頭が下がるということが起こるのです。そして頭が下がるところにはじめて念仏中心の生活がはじまります。頭が下がったら終わりなのではなく、ようやくスタート地点に立てたということです。救いというともうゴール地点に到着していることのように想像してしまいますが、実は今ここから念仏の生活がスタートしていくのです。

頭が下がるのは自然に下がることだといいましたが、反対に頭が上がるのも自然に上がってしまうのが私たち煩悩具足の凡夫なのです。いつの間にか気づいたときには、上がってしまっています。例えば私が誰かを怒るというような時、怒る前に怒ろうかな、怒らないでおこうかなと、考えてから怒るのではなく、腹が立って気づいたときにはもう怒ってしまっているように。 怒った後に怒ったことに気がつくようにいつの間にか上がってしまっているのです。その上がってしまった頭に気づかせてくれるのも仏智であり、その気づきを深めていくのが念仏者の生活なのです。そういう念仏そのものが歩みとなる生活を「念仏の中にある生活」というのです。

反対に「生活の中の念仏」というのは、やはり我がはからいによって称える念仏をいうのでしょうか。


念仏には無義をもって義とす 

『歎異抄』第十章


念仏は意味がないのが意味だと、ここで言われています。私たちは、ついつい念仏に自分にとって都合の良い意味や結果を期待してしまいますが、自分にとって都合の良い意味なんてないのです。我がはからいによって称えるお念仏には自分にとって都合の良い結果を期待してしまいますが、「無義をもって義とす」とあるように念仏とは、我がはからいなのではなく如来の御はからいなのです。だからそれを他力というのです。

金子大栄のお母さんが健康を害し臥しがちな時に、「お念仏を申してもお慈悲が喜べない」のはなぜだろうという次のような手紙を息子である金子先生に送っておられます。


「…さて”御慈悲を喜ぶ心が起こらぬ”という御歎きですが、それは病める身には御尤もの事に存じます。
 私たちの心は苦しい時には苦しいだけであり、悲しい時は 悲しいだけにしか出来ていませぬ。生きたいときには生きたい心で一杯であり、死にたくない時には度くない心で一杯であるのがありのままの相であります。その心の中へお慈悲を喜ぶ心を注ぎ込もうとしたり、その心を転じて有難い心になろうというのが無理といわねばなりませぬ。
 されば”唯せつなまぎれ”にてもお念仏の申さるることが有難いのであります。御慈悲を喜んでお念仏を申すのではなく、お念の仏申さることが御慈悲であります。せつなまぎれの中からも、お念仏の申さるるが御慈悲であって、それは母上の御計らいではありませぬ。
 凡夫の”せつなさ”に御慈悲がまぎれこんでお念仏となって下さるのです。されば、お念仏を申して有難うなるのではありませぬ。お念仏の申さるることが有難いのであります。お念仏の申さるることの外に有難いことがあると思わるるは計いであります。
 称える心は如何ようであろうとも、称えらる、お念仏が浄土へ送り届けて下さるのであります。
 近くに居りませぬこと不幸の至りですが、たとえ御側に居りましても、これだけのこと以外に申上ぐるようもありませぬ。よくよく御覧の上、猶、御不審にて落ちつかぬ点もあらば、また御知らせて下さい。またまた申し上げます。
                        十月十六日(昭和八年)
                            大栄(五三歳)」
   母上様(七一歳)
                                   

『なむの大地』新潟仏教文化研究会編



念仏の生活を送られていたであろう金子先生のお母さんですが、「お念仏を申してもお慈悲が喜べない」のはなぜだろうか、どのように念仏すれば、お慈悲を喜べるのであろうかとお尋ねになっておられます。そのお尋ねにはお慈悲を喜ぶという結果を期待して念仏してしまっておられることがうかがわれます。つまり病気で苦しんでいるうちにいつのまにか我がはからいによって念仏を称えてしまっていたのです。

その切実なる問いに金子先生は「御慈悲を喜んでお念仏を申すのではなく、お念の仏申さることが御慈悲であります。」と答えられています。何かを期待してお念仏するのではなく、病気で苦しんでいるその中にあってもお念仏がでてくるということが如来のお慈悲なのですよとおっしゃられます。またそこにでてくるそのお念仏は、お母さんのはからいの念仏ではないのですよとも。
私たちは自らのはからいによって念仏にケチをつけたりして しまっているのではないのでしょうか。こんな念仏では駄目だ、もっと有難くいただかなければだめだというふうに。


ご恩徳

いつもお念仏の外に居る
外にいるのに内に居る
こんなおかしいことはない
こんな不思議なことはない

外にいるのはわたしの性(しょう)
内に居るのはご恩徳
ナムアミダブツの
ご恩徳

ナムアミダブツ
ナムアミダブツ

『念仏詩抄』木村無相

たとえ我がはからいによって称えるお念仏であったとして も、そのような私だからこそ、そんな私をも包み込んで離さない、それがお念仏のはたらきなのでしょう。仏の声に耳を塞ぎ続けていた私でしたが、不思議としか言いようがない仏のはたらきによって、聞こえるはずのない私の耳に今、仏の声が届けられている。その声を聞く時に、お念仏の外にいるとしかいいようのない我が身に気づかされるのであり、同時にそんな私をも内に包み込んでくださっているところに、恩徳を感じられていくのでしょう。だから念仏の中にある生活とは如来の恩徳を感じながら生活していくことをいうのだと思います。



しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍(しゅか)の波転ず。すなわち無明の闇を破し、速やかに無量光明土に至りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵うなり。

『教行信証』行巻・親鸞聖人
                                                          
                              

悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利の太山に迷惑して、定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快(たの)しまざることを、恥ずべし、傷むべし   
                              
『教行信証』信巻・親鸞聖人  
                                                      



ここに『教行信証』から二箇所引文してみました。
注目していただきたいのは、「海」という文字で、行巻では 「光明の広海に浮かぶ」とあり、信巻では「愛欲の広海に沈没し」と一見矛盾したことを言っておられるようにみえますが、これは一体どういう関係になるのでしょうか。すでに念仏を与えられているにもかかわらず、海のように広くて深い煩悩によって、深く深く沈んでいるどうしようもない我が身の事実を光明すなわち仏智によって気づかされるのです。煩悩をなくして「光明の広海に浮かぶ」のではなく煩悩をなくす望みすらない事実がどんどん明らかになり、その事実を知れば知るほど、恥ずべき身であることを知らされるのだと思います。そしてその光明は無碍光、すなわち光のはたらきが無碍なのですから、海のように広くて深い煩悩をもった凡夫の事実に、仏様もやはり海のように広く深い悲願をもってどこまでも寄り添い、応えていこうとされているということになります。だから「愛欲の広海に沈没」している身に気づくということはそのまま「光明の広海に浮かぶ」といことになるのでしょう。


罪障功徳の体となる
 こおりとみずのごとくにて
 こおりおおきにみずおおし
 さわりおおきに徳おおし
              
『高僧和讃』親鸞聖人


氷が溶けたら氷がなくなってしまうのではなく水となるよう に、煩悩がなくなってしまって、それから功徳になるのではなく、その煩悩があるからこそそこが摂取不捨の光明はたらく場となり、煩悩の身のままで仏の徳をその身に賜るのです。そこに生きていく方向が転換され、定まり、どんなことがあろうともお念仏と共に歩んでいけるという新たな生活が開かれてくるのでしょう。

最初に法然上人のお言葉をご紹介しましたが、それは念仏できる生活を求めていきましょうということではなく、もうすでにお念仏の中に生かされて生活しているのですよ、そのことに気づいていきなさいということなのだと思います。その気づきを信心といい、信心の表白がお念仏なのでしょう。もう死にたくなるほどに苦しい時も、また悲しい時であっても、どんなことがあろうともお念仏と共に苦しみも悲しみも受け止めていくことができる、それこそ他力のお念仏の功徳で あり、生活内容なのだと思います。そこに生活の問題が、そのまま仏道たらしめるというということがあり、また生活の中で起こることのすべてに意味が見出されてくるのです。

生活の中で起こってくる問題や悩みが消えてなくなってしまうのではなく、それらを縁として、さらに信心を掘り下げていく、そういう自身を問うていく歩みこそ仏道というものなのでしょう。そのことを親鸞聖人は

信順を因とし疑謗を縁として、信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕わさんと。
                                 
『教行信証』化身土巻

といいあらわしておられます。


私たちは、「生活の中に念仏があるのではなく お念仏の中に生活があるのです」というと「生活の中の念仏」をやめて「お念仏の中に生活」を目指していこうとしてしまいがちですが、「生活の中の念仏」であってもそのまんま「お念仏の中に生活」であると気づかされていくのです。「生活の中の念仏」は「念仏の中の生活」の内容の一部であるから。

2009年8月1日土曜日

さあ 帰ろう いのちのふるさとへ

私の思いを超えてこの世に生を受けた、この身体。一体どこへ向かって歩いているのだろうか。眼前の諸事に心を奪われ、「忙しい、忙しい」と文字通りこころを亡くして、忙しいことを善とし、そのことに眼を背け続けてている私。忙しくしていれば、それで満足か。なにを立ち止まることを恐れておる。なぜだかわからないが落ち着かない。なにかが足りないのか。なにかやり忘れたことがあるのか。こころが満たされているようで満たされていない。それは何か大切なものを求めているという、わたしのいのちがもつ本能的欲求のあらわれなのであろうか。私がしていることは、本当にいのちが願っていることなのか。このいのちをどのように受け止め、歩んでいけばよいのだろうか。


しらざるときの いのちも、阿弥陀の御いのちなりけれども、いとけなきときはしらず、すこしこざかしく自力になりて、「わがいのち」とおもいたらんおり、善知識「もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ」とおしうるをききて、帰命無量寿覚しつれば、「わがいのちすなわち無量寿なり」と信ずるなり。かくのごとく帰命するを、正念をう、 とは釈するなり。

『安心決定鈔』(あんじんけつじょうしょう)


「いとけなきとき」まだ物心のつかない幼い時、仏から賜ったいのちをいのちのまま、あるがままに生きていたのに、「すこしこざかしく自力になりて」物心ついた時からいつの間にか、自分の思いで仏のいのちであるはずのいのちをなのにわがものとし、そのことによって、またそれが原因とも知らずに悩み苦しみながら生きているのです。

一歳九ヶ月になる我が子を見ておりましても、今まであんなに泣き叫んでいたのに、次の瞬間にはもうケロッとしてニコニコ笑っていたり…なんの迷いもなくただ感情のままに生きているように思います。

しかし、成長するにしたがって、いのちを自分の思いでとらえ、自分の思いで生きてしまうようになるのです。それが世間でいう成長なのでしょうが、仏様から見るとどんどん、仏のいのちから遠ざかっていっていることになるのでしょうね。つらいことや悲しいことがあっても、「そんなことでは世間が許すか」「こんな自分ではだめだ」と素直な感情を理性でもって蓋をしてさらに苦しむことになるのです。そして幼き時は考えもしなかった「何のために生きているんだろう」と人生に虚しさを感じつつより深い迷いに沈んでいくのでしょう。花は何の迷いもなく自らの花を咲かせようとします。また鳥は鳥であることを迷ったりはしません。しかし人間は自らを見失い、この身をどのように受け止め、どこに向かって歩んでいけばいいのかわからなくなってしまっているのです。

虚しく感じるのは虚しくない生き方を求めている証しであり、寂しく感じるのは寂しくない生き方を求めている証しです。そこにいのちがはたらいているからこそ虚しさや寂しさを感じるのであって、そこに今の自身の在り方が問題になってくるのです。私たちその虚しさや寂しさから目をそらそうとしますが、向かい合い、耳を傾けていくことが大切なのです。なぜならそれがいのち自身の本当の願いだからです。その時いのちの願いを見失い迷いさまよっているの姿に気づかされていくことになるのでしょう。

帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである

『死の淵より』高見順

高見順の「帰る旅」という詩の冒頭の言葉です。
当たり前のことと思われるかもしれませんが、もし帰る家がないのならば、それは旅ではなくて、さ迷っているということになります。死んだら終わりと考える私たちは、人生という当てのない旅を迷っているとは気づくことなくさ迷い続けているのでしょう。

帰るべき場所が 見つかったということは、生きていく方向、生きていく道が定まったということいなります。それを仏教用語では正定聚(しょうじょうじゅ)の身といいます。 しかもそれは現生正定聚であるから、今ここに帰るべき道が見つかったということであって、死後にはじめて帰れるということではありません。死後の問題と思われるかもしれませんが、死といってもその死は結局は現在につながっているのですから、遠い未来のことではなく今ここが常に問題になってくるのです。わかりやすくいうと、 死を含んだ生を今いきているからということになるのだと思います。生死一如と言ったほうがいいのでしょうか。ですから今ここにお念仏するということが大切になってくるのです。

今ここにお念仏申すところに、いのちのふるさとであるお浄土へ帰らせていただくのです。お念仏は浄土との架け橋であり、本来のいのちにいつでも帰っていけるのです。とはいっても、この身がある限りいつの間にかというかほとんどいつも「わがいのち」としてしまっているのが、私たちの在り方なのでしょうね。

しかし「わがいのち」としているからこそ「しらざるときのいのち」があることを知ることができる。それを知り得た喜びとともにありのままを生きられぬ悲嘆すべき身の事実をしらされる。その気づきを深めていくことが、ほとけのいのちへの気づきを深かめていくことになる、それが念仏者の歩む道なのでしょう。


「帰去来(いざいなん) 魔郷にはとどまるべからず」

                 『観経疏』善導

2009年7月1日水曜日

自分自身に遇うとき 亡き人にも遇える

前々回の掲示の説明文の結びの言葉を今回の掲示の言葉とさせていただきました。

仏教ではこの世は縁起の法則によって成立していると説かれます。縁起とは、因縁生起の略で、世界のあらゆるものは、因(原因)や縁(条件)によって生じているということをあらわします。すべてお互いに結びつきあっており、それぞれが単独で存在しているのではなく、お互いが原因となり、また条件となり、そして結果となって、仮に和合して今存在しているというのです。そのことを、別の言葉で言い表すと無我といいます。「無我」、つまり「我」がないということは固定的な、単独で存在する「我」がないということです。仏教ではこの「我」というものを「常一主宰」と言い表します。つまり私を主宰する私、客観的に自分を見ている固定的かつ単独で存在している私とでもいったらいいのでしょうか。ですから「無我」とは、そういう「私」は存在しないのだということです。「仏法には無我にて候」と蓮如上人が言われるように無我の教えは仏教の核となる教えであります。

そうは言っても、私たちは「我」が無いということを信じられませんし、認めたくもないはずです。生まれてから、これまで大切に可愛がり、成長させてきた 「我」が否定されるということは、これまで生きてきた、そして今生きている自分自身が否定されることになってしまうからです。また「いったい何のために生きてきたのか」ということになりかねません。そしてその可愛がり続けてきた「我」が死によって消滅してしまうことを恐れ来世に期待する。生に執着するということは、そのまま死を恐れていることを意味します。いつも言いますが「ご冥福をお祈りします」「天国でも元気でね」とあたかも死後も「我」が存在するか のような発言をしてしまうのは無自覚であるかも知れませんが、死者の「我」ではなく自分の「我」が消滅してしまうことの恐れからくるものだと思います。少し前に「千の風になって」という歌が大ヒットしましたが、その背景にも「我」の消滅の恐れがあるのではないかと思われます。ここではっきりいいますが「千の風になる私(我)もあなたもないのです」(笑)
また反対に、死んだら終わりと開き直る場合もありますが、これもまた死んだら消滅してしまう「我」が存在することが前提となってしまっているのです。「我」が存在しなければ消滅する「我」というもないはずなのですから。

このように本来、私たちは不生不滅のいのちを生きています。それは生まれる「我」もなければ、滅する「我」もないといことです。無限の広がりをもった、限りないいのちの営みとして生まれ死ぬのであり、今私があるのは無数の関係を縁として存在するのであって、単独で存在しているわけではないのです。縁あって生まれ、縁あって生き、縁尽きて死す。生まれるのも、生きているのも、死ぬのも縁次第なのです。


世尊、我、宿(むかし)何の罪ありてか、この悪子を生ずる。世尊また何等の因縁ましましてか、提婆達多(だいばだった)と共に眷属たる。     
『仏説観無量寿経』

これは王舎城の悲劇の中の一文です。王舎城の悲劇とは簡単にいいますと、国王である頻婆沙羅(びんばしゃら)とその王妃である韋提希(いだいけ)の子供である阿闍世(あじゃせ)がお釈迦様の従兄弟であったともいわれる提婆達多(だいばだった)にそそのかされ父親である頻婆沙羅王を殺して王位についてしまったのです。その殺し方が、牢屋に幽閉して食べ物も飲み物も与えないようにしたのです。韋提希夫人は見つからないように、自分の身体に蜜を塗り、身につけてい る装飾品の中に飲み物をいれて、牢の中に運んでいたのですが、いつまでも頻婆沙羅王が元気なのを不審に思った阿闍世にとうとうばれてしまったのです。そして今度は、韋提希自身が子である阿闍世から殺されかかるのですが、家来に止められて結局、韋提希も牢屋に閉じこめられてしまうのです。苦悩の真っ直中で韋提希はお釈迦様に救いを求められます。その時韋提希が号泣しながらお釈迦様に愚痴った最初の言葉がこの一文になります。

私たちはいつも自分に都合のいい関係を求め、築きながら生きています。そして「私には関係ない」と自分に都合の悪い関係からはなるべく離れ、関わらないよう にしているはずです。韋提希にとってこの悲劇が起きるまでは、阿闍世の出生時の問題などいろいろ苦悩があったでしょうが、それなりにいい親子関係だったのでしょう。ところが、この悲劇で悲しみ苦しんでいる韋提希は「なんで私はこのようなことをしでかすような子と提婆達多との関係を生きなけれいけないのか」 と愚痴っているのです。

しかし親子といいましても、よく言われるように、親というのは子がいてはじめて親にしていただいているわけで、単独で親というものは成り立ちませんし、当然子も成立しません。ですから、阿闍世なしでは韋提希が成り立たちません。阿闍世がいてもいなくても、韋提希は韋提希だというわけにはいかないのです。阿闍世もひっくるめての韋提希なのです。

同じように今を生きる私たちも私が私として単独であるわけではなく、自分にとって都合のよい関係の人とも、都合の悪い関係の人とも、一見無関係に思える人と も複雑に絡みあいながら存在しているのです。そうなると私の救いというものは、一切の人が救われることが成り立たないし、人を害することは私を害すること であり、私を害することは人を害することになるのではないでしょうか。そこに現代人が見落としてしまっている大切ないのちの事実があるように思われます。「殺すのはだれでもよかった」そこまでいかなくても「自分さえ幸せになればいい」親子間であっても、自分の役に立たたなくなったら邪魔者扱い。また数年前には「そんなの関係ねぇ〜」なんて言葉も流行しましたね。これらはすべて私たちが単独でバラバラに存在しているという思いこみからくるものです。関係存在を生きている私だと知る時、自分自身の在り方に出遇う時、他者に存在の意味が見出されてきます。そして同時に私が今こうしてあることに限りない恩徳を知らされるのです。さらにその関係は現在において横へ横へとつながっているだけでなく、時間軸つまり過去未来という縦方向にも無限につながり合っています。ですからその関係は現世と死後の世界で分断されるものではなく、生死を超えてつながりあっているのです。
何度も言うように不生不滅、つまり私たちは本来無我なのですから、死ぬ「私」もないのです。無数のご先祖様もひっくるめて、関係存在として、様々な縁をたまわり、私としてあるのです。ご先祖様がたった一人欠けたとしても今の私はあ りません。そこに現在の私を成り立たせているものとしてご先祖様にも意味が見出されてくるのです。
また反対に私に関係するものが成り立つということは、私にもまた存在する意味があたえられているといことです。しかも無条件で。
すべての存在、出来事に意味が見出されて、お互いがお互いを輝かせあうことのできる世界、それを浄土と呼ぶのです。それを見失って生きる私たちに仏様はいつも呼びかけてくださっています。「あなたはあなたとして本当のいのちを生きてほしい」と。

人身(にんじん)受け難し、いますでに受く
                    
                    「三帰依文」


この身にいただいているいのちの尊さにどうか目覚めてください。

2009年6月1日月曜日

いのちは まっすぐ生きている どんなときも

わたしたちは、自らのいのちを「こんなもんだ」と決め付けて生活しているということはないでしょうか?「こんなもんだ」というのは自分の範疇に納まっていてくれているということです。たまに病気になって寝込むこともあるし、「健康だ」と胸をはって言えないにしても、普段の生活に支障がない程度に体が動いてくれるし、他人と比較しても、「まぁ年相応でこんなものかな」という風な具合です。

このような生き方をしていると、「こんなもんだ」という自分の範疇から人生が大きく外れていってしまった場合、そのような状態の自分を受け入れることができ なくなってしまうだけでなく、自分の範疇に納まっていない生き方をしている人を自然と疎外した生き方になってしまっています。私たちは、「寝たきりになったら終わりだ」とか「呆けたら終わりだ」などと軽々しく口にすることがありますが、そのような姿勢からは、その人たちと共に生きるという世界は生まれません。

真宗寺院の坊守(住職の妻)で若くして癌で亡くなられた平野恵子さんは重度の心身障害児である長女由紀乃ちゃんの身体のことで悩み、一緒に死のうと思った 時、長男の「お母さん、由紀乃ちゃんは、顔も手も、足も、お腹も、全部きれいだね。由紀乃ちゃんは、お家のみんなの宝物だもんね」の一言が、お母さんの目を覚ましてくれたのです。と著書『子どもたちよ、ありがとう』で語っておられます。

「こんなもんだ」という生き方から外れた生き方をしている由紀乃ちゃんを受け入れることができなく、由紀乃ちゃんの存在を否定しておられた。しかし長男の言葉によって由紀乃ちゃんは、由紀乃ちゃん自身のいのちをあるがままに一生懸命生きているだけなのであり、その苦しみの原因は自分にあったのだということに気づかされたのではないかと思います。

さらに平野さんはその著書で由紀乃ちゃんについて次のように語られています。

 「この子の人生は、一体何なのですか。人間としての喜びや悲しみを何一つ知ることもなく、ただ空しく過ぎていく人生など、生きる価値もないではありませんか」
お父さんの大学時代の恩師、廣瀬杲先生の講演会の席上で、「問いをもたない人生ほど、空しいものはない」と“空過”ということについて話される先生をにらみつけ、泣きながら訴えた若い日のお母さんでした。
 「お嬢さんの人生が、単に空しいだけの人生だと、どうして言えるのですか」
優しげな微笑みを浮かべた先生の口元から、穏やかな言葉が返ってきました。
 「娘は、何も考えることができません。何一つ、問いを持つこともないのです」
 「お嬢さんは、問いを持っていますよ。大きな問いです。言葉ではなく、身体全体で、お母さんに問いかけているではありませんか。無言の問いというものは、言葉で表される問いよりも、時には深く大きなものなのですよ」
 「お嬢さんの人生が、空過で終わるかどうか、それを決めるのは、お母さんのこれからの生き方なのではないですか」


平野さんは由紀乃ちゃんの心配ばかりしていたが、実は逆にそういう身体全体で由紀乃ちゃんが平野さんに訴えかけておられていたのです。「あなたはそれでいいのですか?」といういのちそのものの問いかけを「こんなもんだ」という自身の生き方が耳を塞いできた。つまり問いを持つことがなかった。しかし事実がそういう生き方を崩しかけてくる。その崩れかけた隙間から聞こえてくるいのちの呼びかけに耳を傾けるということが起こる。それは、自分自身のそういう生き方に 対して、問いを持つことであり、それによってはじめて空しい人生を送っているのは自分のほうであったと気づかされるのです。

いのちはどんなときも、なんの迷いもなくまっすぐに生きています。寝たきりになるのも呆けるのもいのちのひとつの姿です。その姿でもって全身を上げて私たちに無言の問いかけをしてくださっている。その問いかけを受け取るというところに共に生きることのできる世界が開かれてくるのではないでしょうか。

2009年5月1日金曜日

鬼と思うは我がこころ 鬼と思っていた人が 実は諸仏であった

浄土真宗の通夜や法事の席での法話ではよく「諸仏になられたご先祖様に願われている」などと語られていることを耳にするのではないでしょうか。これはもちろん大切な人が亡くなられたことを美化して「亡くなったら浄土で仏様になったのだ」という乱暴な話ではありませんし、どうせ私たちには死後のことはわからないので浄土真宗では「そういうこと」にしている(笑い)ということではありません。それでは、ここでいう「諸仏」とは一体どういうことなのでしょうか。

まず最初に押さえておきたいことは、諸仏とは私たちが将来「なる」ものではなく「見出す」ものであるということです。大切な人の死というものを通して、はじめて自分というものが問題になってきた。そしてはじめて仏法というもに出遇い、さらに仏法を喜ぶ身となった、その時はじめてその仏縁を結んでくださった亡き人を諸仏として見出すということが起こるのでしょう。これは仏の智慧によって諸仏が見出されたということです。

智慧浅くして暗闇を生きる私たちは、ご先祖さまといっても、自分にとって都合の通りいっている時は「ご先祖さまのおかげです」と「守護霊」や「諸仏」にな り、都合の悪くなると「先祖の祟りだ」と「悪霊」や「鬼」になったりするのです。その時の状況次第で評価が変わってしまうのでは、ご先祖様もたまったものではありませんね。

これはご先祖さまだけにおける話だけではなく、今いっしょに生活している周囲の人に対しても同じです。私たちは「あいつのせいで…」「あいつさえいなければ…」と周りに鬼をつくりだしながら生きています。まさに渡る世間は鬼ばかりですね。

そんな生きかたをしてきた私であったけれども、仏の智慧によって鬼をつくりだしている原因は私にあった、苦しみの原因は私にあった、実は私こそが鬼であった と気づかされていくのです。自分が鬼であったときづかされる時、諸仏が見出されるのであり、自分が鬼であったということを気づかせてくれる縁となってくだ さっているひとを諸仏というのでしょう。実は私が気づいていないだけで、無数の諸仏のお育ていただいていたのです。諸仏と出遇ってはじめて仏法が私への呼びかけになるのです。

諸仏が見出されるところに本当に人が人として人に出遇っていける世界が開かれてきます。またそれは同時にご先祖様にも本当に出遇っていける世界なのです。そういう世界を浄土というのでしょう。自分には関係がない、また鬼であるとさえ思っていた他人の存在に意味が見出され、共に生きて行くことができる。さらに願いとして働き続けてくださっているご先祖さまにも、念仏にその願いを受け止めるところに出遇っていけるのです。

自分自身に出遇う時に、人にもご先祖様にも出遇っていけるのです。

2009年4月2日木曜日

どんなに苦しい時も どんなに悲しい時も そんな私をも支えてくださったのですね ほとけさま

苦しくて、苦しくて、
もういっそのこと死んでしまいたい。
思い切って自らの命を絶ってしまえるなら話は簡単だ。
自分の人生は自分のものと思いこみ、自由に生きてきたはずである。
なんでも自分の思い通りになると思っていた。
自分の人生なのだから、自己責任でどうにでもできると思っていた。
それなら、死ねばいい。死ねば楽になる。

しかし、死ぬことができなかった。
そう簡単に人は死ねるものではないようである。
死にたくても死ねないからより一層苦しむのである。
生きたくても生きられない、死にたくても死ぬこともできない。
念仏を称えたって少しも楽にならない。
神も仏もあるもんか。
えい、もうどうにでもなってしまえ。

しかし、死なずに生きていた。
念仏のお陰で救われましたなんてかっこいいことはいわないし、念仏のお陰で生きることができましたなんてこれっぽっちも思ってなんかいない。

こんな私をもほとけさまは念じてくださっていた。
私が信じようが信じまいが常に念じられていた。
そのお心がようやく私に届いたのである、ナムアミダブツと。
なぜだか知らないが、不思議と口にしたこの言葉、ナムアミダブツ。
そんなほとけさまの永劫に渡るご苦労に気づかされた時に
思いもかけずでてきてくださったのだ、ナムアミダブツと。

ご苦労を知れば知るほど、どんなに謝しても謝し難き、ナムアミダブツ。
背きつづける我が身を知れば知るほど、あやまってもあやまりきれぬ、ナムアミダブツ。
我が身の現実を知った今、いよいよ頼もしき、ナムアミダブツ。
ただほれぼれと、ナムアミダブツ。

2009年2月19日木曜日

悩みがあってもいいんだよ 悩みを捨てなくても 悩みは道となるのだから

悩みがあるということはとてもつらく煩わしいことだと、なるべく悩みを避けて、幸せを手にいれようともがき苦しんでいるのが私たちなのではないでしょうか。悩みがある=不幸 せ、悩みがない=幸せ、といった図式で私たちは生活しているのではないでしょうか。しかし考えてみてください。悩みがない人生って考えられますか?子供に は子供の悩みがあり、大人には大人の悩み、老人には老人の悩み、それぞれ常に悩みを抱えながら生きているのではないですか。そうなのなら先程の図式でいうと私たちは常に不幸せだということになります。しかしそんなことはとても恐ろしくて認めることができない私たちは、そのことから目を背け、悩みを捨てる努力をし、少しでもマイナス要素を減らそうと藻掻いているのです。


浄土真宗では、罪福の信、現世の利益というものを否定します。なぜ求めないかというと、りっぱな信心を持っているから、現世の利益なんかでけっして惑わされないのだというような、そんなことではありません。そうではなく、逆に、現世の利益で救われるような、そんな浅い苦悩ではないということがあるのです。ほんとうの苦悩を知らないから、現世の利益を祈っておられるのです。私の上におこってきた苦悩が消えてなくなることが救いではなく、そういう問題に出遭ったことを扉として、より大きな、確かな世界に目覚め、歩まされていくということが、救いでございます。救いとはゴールインしたことじゃないんです。初めて出発点に立てたということなんでしょう。

宮城 顗


ここで宮城 顗先生は現世の利益で救われるよう苦悩は本当の苦悩ではないとおっしゃっています。自らの力で克服できるようなちっぽけな悩みではなく、現実を直視して進 むことも、目を背けて逃げることもその場でとどまることもできないような自分ではもうどうすることもできないような悩みが起こってきたときにはじめてこれまで疑いもしなかった生き方に対して問いが生まれ、生きるとはどういうことかという問題になってくるのです。悩みがあるということは悪いことではなく、本当の苦悩に出会うことによってはじめて気づくことができる世界があります。決して苦悩が消えてなくなることが救いではありません。私たちは悩みそのものですから。

悩みというと私たちにとっては何の意味も持たないつまらないものと考えがちですが、そのつまらないと思っていた悩みが今度は私たちを歩まさせる、悩みによっ て出発点が見出され、悩みを持ったまま最後まで歩み続けていくことができる。悩み多い生活に意味をを見出していくのが念仏です。悩みがあるからこそ仏様の世界に頭が下がるということがおこるのでありますし、悩める我らを救わんとする阿弥陀さんのお心をいただくことができるのでしょう。

2009年1月1日木曜日

我思うまえに我なし 我思うまえに寿あり

「我 思う、故に我あり」はデカルトの言葉としてとても有名ですが、仏教の視点からみるといささか疑問が残らざるを得ないように思います。仏教は本来「無我」を説く教えですが、このデカルトの「我思う」の「我」という固定的な自我が存在することを前提とした考え方です。私たちは実体的な自我があるものだと思い込んで、それを主体とする我の奴隷として我を握りしめて人生を歩んでいるのです。そしてさらに我の肯定という考え方では死後においても主人公である私が死んで消滅してしまうことは、とても恐ろしくて認めることができませんから、身は滅んでも霊魂というかたちで存在するものと考えます。

「先祖の霊の祟りだ」とか故人に対して「今ごろ天国で大好きだった〜をしているこだと…」「あの世で元気にしてますか?」など一般に使われるこのような言葉も固定的な自我の肯定が前提となっています。それでは死んだら終わりなのでしょうか?答えはノーです。死んだら終わりだということもまた固定的な自我の存在が前提になっています。実体的なものがなければ、終わることできませんから。ですから死んでもまだ終わらないんだという考え方も死んだら終わりなんだという考え方も共に固定的自我があっての話なのです。

それに対して、無我の教えを説かれたお釈迦さまは「不受後有」と来世の存在をきっぱりと否定されました。無我すなわち実体としては存在しないが、因縁として 今存在している、つまり常に「今」しか問題にしていないのです。死後のことは全く問題にしていません。常に今を生き続けるのです。これを「永遠の今」とか 「絶対現在」といいます。

その「今」の私を支えてくれているのが仏の寿(いのち)です。例えば「死にたい」という思いが起こったとします。頭の中で起こった自殺願望も我という主体が起こした思いではなく、思いとして存在するだけなので本当はその思いに振り回される必要はないのです。頭の中で「死ななくてならない」「死ぬしかないんだ」と決め込んでいるだけで、心臓や肺などの臓器や手足は決して死にたいなどと思っていないはずです。心臓は私たちが起きている時も寝ている時も、その存在を意識しなくても動いていてくれているのです。頭で「生きなければならない」と思い続けているから生きているわけじゃないでしょう。ですから反対に「死ななければいけない」という思いにも振り回される必要はないはずです。我があれこれ思う以前に私の思いを超えてすでに仏のいのちに生かされ生きているのです。

往生というは『大経』には「皆受自然虚無之身無極体」と言えり(『教行信証』 真仏土巻)

なんとちっぽけでお粗末な自分であったかと虚無之身の自覚で知ることは、同時に私がいかに大きな世界に支えられて生きていたかを知ること、それが往生だといっています。我を握りしめて苦しんでいるお粗末な私、自分では見ることのできない本当の自分の姿を見せてくれるのが仏の世界です。もっと大きな世界に目を向けていきましょう。