2012年6月15日金曜日

念仏者は 浄土と娑婆の間を 生き抜く




何をいう、念仏する者は浄土に生まれるのであって浄土と娑婆の間(はざま)という中途半端なところに生まれるのではないと言われる方もあるかもしれませんが、誤解を承知でこのような表現をとらせていただきました。
念仏して救われたと聞くと、悩みがなくなって心安らかな生活が送ることができるように思いがちですが、私たちが生きる場所はこの悩みや苦しみに満ちた娑婆世界であり、娑婆は堪忍土ともいわれるように耐え忍んでいかなければいけない世界なのです。そのような世界が現実として目の前にあるのに、一人よがりな救いに安住したり、浄土という理想郷に腰を降ろして極楽、極楽というわけにはいかないのです。念仏さえ称えておれば、苦しんでいる人が周りにいても、それで良いのか。そんなはずがありません。周りに苦しむ人がいるのに自分だけが救われる、それが本当の救いといえるでしょうか。

第一願だけを見ますと、阿弥陀仏の浄土は地獄、餓鬼、畜生のない、綺麗な所に見えるかもしれません。しかし、第二願で確かめますと、たとえ地獄、餓鬼、畜生がいっぱいあっても、それに飲み込まれないということが課題になっています。かえって問題がある中で、何が大事かを明確にし、お互いに傷つけあうことを乗り越えていくという、そういう課題を担うような人が生まれてくることを第二願は誓っています。
 第一願だけでしたら大きな誤解をしてしまいそうです。どこかにすばらしい世界があると。しかし、第二願を通して、戦争の好きな私、差別してやまない私が問題となってくるのです。その生きざまが問題にならなければ浄土はどこを探しても無いのです。

『四十八願概説』一楽真

※参考
第一願(無三悪趣の願) 
説我得仏 国有地獄餓鬼畜生者 不取正覚(たとい我、仏を得んに、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ) 
口語訳・わたしがもし仏になるとき、私の国に地獄や餓鬼や畜生のものがいるようなら、わたしは決してさとりを開きません。

第二願(不更悪趣の願) 
説我得仏 国中人天 寿終之後 復更三悪道者 不取正覚(たとい我、仏を得んに、国の中の人天、寿終わりて後、また三悪道に更らば、正覚を取らじ) 
口語訳・わたしが仏になるとき、わたしの国の天人や人々が命を終えた後、ふたたび地獄や餓鬼や畜生の世界に落ちることがあるようなら、わたしは決してさとりを開きません。
浄土に腰をおろしてヤレヤレではなく、私たちの生きていく場所は地獄の真っ只中。三悪趣の真っ只中にあってそれに染まらずに三悪趣の身を問題にしていくのです。だから、ただ単に三悪趣にかえらないという意味ではなく、三悪趣の世界に埋没しないということなのです。地獄・餓鬼・畜生の世界にあって諦めるのでも開き直るのでもない。三悪趣の世界で地獄・餓鬼・畜生の生き方しかできない自分を問題にしていく。それが埋没しないということなのでしょう。

親鸞聖人は非僧非俗といわれましたが、それはもちろん肉食妻帯するために開き直っているわけでも、僧侶としてあきらめているわけでもありません。僧と俗の間を生きる決意を非僧非俗という言葉で表したのだと思います。僧侶としてのエリートコースである比叡山を下り、法然上人との出遇い、そして僧籍を剥奪され越後に流罪となり、いなかのひとびとと共に生活を送ることとなった、これらの体験があったからこそ生まれた言葉でしょう。もし流罪にあわなければこのような言葉も生まれなかったかもしれませんし、ただの法然門下のいち僧侶で終わったのかもしれません。
流罪という絶望の中で親鸞聖人は生きる道を改めて確かめられ、その道を共に歩んでいく覚悟をきめられたのでしょう。そういう覚悟と情熱と勇気をお念仏から賜ったのです。

念仏者は浄土に座り込むのでもなく、この娑婆界に埋没してするのでもなく、その間に身を据えて社会や人との関わりの中から自分という存在を問題にしな歩み続けていく、それが念仏者の生き方なのでしょう。