2009年2月19日木曜日

悩みがあってもいいんだよ 悩みを捨てなくても 悩みは道となるのだから

悩みがあるということはとてもつらく煩わしいことだと、なるべく悩みを避けて、幸せを手にいれようともがき苦しんでいるのが私たちなのではないでしょうか。悩みがある=不幸 せ、悩みがない=幸せ、といった図式で私たちは生活しているのではないでしょうか。しかし考えてみてください。悩みがない人生って考えられますか?子供に は子供の悩みがあり、大人には大人の悩み、老人には老人の悩み、それぞれ常に悩みを抱えながら生きているのではないですか。そうなのなら先程の図式でいうと私たちは常に不幸せだということになります。しかしそんなことはとても恐ろしくて認めることができない私たちは、そのことから目を背け、悩みを捨てる努力をし、少しでもマイナス要素を減らそうと藻掻いているのです。


浄土真宗では、罪福の信、現世の利益というものを否定します。なぜ求めないかというと、りっぱな信心を持っているから、現世の利益なんかでけっして惑わされないのだというような、そんなことではありません。そうではなく、逆に、現世の利益で救われるような、そんな浅い苦悩ではないということがあるのです。ほんとうの苦悩を知らないから、現世の利益を祈っておられるのです。私の上におこってきた苦悩が消えてなくなることが救いではなく、そういう問題に出遭ったことを扉として、より大きな、確かな世界に目覚め、歩まされていくということが、救いでございます。救いとはゴールインしたことじゃないんです。初めて出発点に立てたということなんでしょう。

宮城 顗


ここで宮城 顗先生は現世の利益で救われるよう苦悩は本当の苦悩ではないとおっしゃっています。自らの力で克服できるようなちっぽけな悩みではなく、現実を直視して進 むことも、目を背けて逃げることもその場でとどまることもできないような自分ではもうどうすることもできないような悩みが起こってきたときにはじめてこれまで疑いもしなかった生き方に対して問いが生まれ、生きるとはどういうことかという問題になってくるのです。悩みがあるということは悪いことではなく、本当の苦悩に出会うことによってはじめて気づくことができる世界があります。決して苦悩が消えてなくなることが救いではありません。私たちは悩みそのものですから。

悩みというと私たちにとっては何の意味も持たないつまらないものと考えがちですが、そのつまらないと思っていた悩みが今度は私たちを歩まさせる、悩みによっ て出発点が見出され、悩みを持ったまま最後まで歩み続けていくことができる。悩み多い生活に意味をを見出していくのが念仏です。悩みがあるからこそ仏様の世界に頭が下がるということがおこるのでありますし、悩める我らを救わんとする阿弥陀さんのお心をいただくことができるのでしょう。