2010年7月10日土曜日

ご先祖さまの遺言は 南無阿弥陀仏

平安時代の歌人和泉式部は幼い子を亡くし

"子は死にて たどり行くらん死出の旅 道知れぬとて帰りこよかし"
 
と嘆かれました。あの世への道で迷子になって「お母さん教えて」と帰ってきてくれたらなぁと儚い願いを歌にされています。まさに亡き子を思い、心配する親心でいっぱいの詩です。

私たちはいろいろな願いを持って生きている。願いどおりになることもあるしそうならないこともあります。しかし死を前にした時、その願いというものはどれはどれほどの意味をもったものなのであるのでしょうか。死の目の前では霞んでしまい、何の役にも立たない儚い願いなのではないでしょうか。

また人の死は、私たちの願いを打ち砕いてしまいます。どんなに生きて欲しい、あと少しでもいいから生きて欲しいと思ってもどうすることもできないのです。和泉式部は子を亡くされたわけですから、その悲しみはどんなに深いものだったのかこの歌からも想像するに難くありません。子の死というものを受け取ることができずに、絶望の真っ只中にいるのです。
 
ところが、その和泉式部が仏の教えに出逢って、考え方が変わります。

"夢の世に あだにはかなき身を知れと 教えて帰る子は知識なり"

お母さんあなたも夢ののようにはかない身を生きているのですよということを、幼い我が子の死を通して気づかされたのです。幼いいのちをかけて、そのことをお母さんに教えようとしていたのです。

私たちは親しい人を亡くした時、「あの子は今頃どうしてい るだろうか」「あの人はどこにいったのだろうか」と自分の立場からしか亡き人を見ていません。だから亡き人を迷いの存在と思い込み、何か少しでも亡き人のためにできることはないであろうかと法要やお墓参りをするわけです。しかしよく考えてみますと、ご先祖さまを迷いの存在とみるわけですから、ご先祖さまに こんな失礼な話はないのではないでしょうか。またお釈迦様は亡くなった人のために教えを説いたわけではないでしょう。

和泉式部は絶望の中に仏の教えに出遇われたわけですが、これは子の死が和泉式部に仏教と出遇わせたということです。母が亡き子に何かしてあげようと思っていたのですが、反対に「夢の世に あだにはかなき身を知れ」と教えられたのです。今度死ぬのは私の番なのです。迷っていたのは亡き人ではなく、この私が迷いの身を生きていたのです。子の死を通してそういう迷い の身に気づかされていかれたのです。子を亡くした悲しみは決して消えることはありませんが、悲しみは悲しみのまま、その死に意味を見出していかれたのでした。それはそのまま子供を諸仏として見出しているということであり、ここでは知識すなわち善知識として語られているのです。


法事やお墓参りでも、お参りが終わって、やれやれこれで一 つ片付いた、ご先祖様も喜んでくださっているだろうと、一区切り付けていくのではなく、法事を通していよいよ念仏することでしか救われることのない身でしたと、いよいよ念仏せざるを得ない身であることを気づかされる、そういう場であるのです。念仏してくれよという亡き人が伝えてくださる仏様の願いに耳を傾 けていかなければいけません。意味を見出すことができなければそれこそ、その死が無駄なものになってしまい、そこには単なる絶望や悲しみしか残らないのではないでしょうか。亡き人を諸仏(善知識)として見出すことができたとき、本当の意味で先祖供養ということがあるのだと思います。供養とは私たちがお参りしてご先祖さまを喜ばせたり慰めたりすることではなく、本当に尊敬するものが見つかったということです。尊敬する人として亡き人を見いだせたとき本当の意味で先祖供養ということになるのでしょう。


人は去っても
その人のほほえみは
去らない

人は去っても
その人のことばは
去らない

人は去っても
その人のぬくもりは
去らない

人は去っても
拝む掌の中に
帰ってくる

中西智海

念仏するところに亡き人とも遇える。