2008年4月2日水曜日

まことの私は 仏の眼にしか映らない

私たちの目は外に向かってついているので、自分の本当の姿が見えない。それは自分の目で自分の目をみることができないように。
信心すなわち仏の眼を賜ると、仏の眼はこちらを向いているので、私の本当の姿を映してくれる。

自分が見えない人は、まるで世界が自分中心に回っているかのような生き方をする。
自分に都合が良いことが起こる時は、天下をとったように勝ち誇り頭を上げる。
しかしひとたび自分に都合の悪いことが起こると「なぜ私が、なんで私だけと」とすぐ外すなわち他人(世間)のせい。外のせいにして内である自分が全く問われていない。

本当の自分の姿を知ったならば、とても頭を上げて生きていくことはできない。
なぜなら仏の眼に映るのは、罪悪深重煩悩熾盛の凡夫であるから。

しかし、煩悩に染まった存在である私たちは、すぐにそのことを忘れて頭が上がってきてしまう。だからこそ日々のお念仏が大切なのでしょう。上がっては下がり、上がっては下がり、聞法を重ねていくにつれ、だんだんと頭が下がる回数のほうが増えていく、それが念仏者の生きる道なのです。