2010年5月27日木曜日

癌や事故が死の原因ではない 本当の原因は生まれてきたということです

先日の新聞に厚生労働省が公表したがん対策推進基本計画の中間発表が記載されていました。



「厚生労働省は15日、がん対策推進基本計画の中間報告書を公表した。2007年度からの5年計画がどれだけ進んだかをまとめた。

 「75歳未満のがんによる死亡率を10年間で20%減らす」という全体目標については、3年間で6%減少しており、おおむね順調と評価した。

 一方、「がん患者と家族の苦痛軽減と、療養生活の質の維持向上」というもう一つの全体目標については、達成度を評価する尺度がないことを指摘。評価指標 を早く設定することや、患者の経済的負担の軽減にも取り組むことを求めた。

 予防面では、未成年の喫煙を3年以内になくす目標が達成できていない。また、子宮頸(けい)がんワクチンの接種などを国として積極的に推進すべきだとした。」




この発表によるとガンによる死亡率は減少してきているよう です。一昔前はガン=死のようなものでしたが、目覚しい医療の発展により、生存率が上昇し早期発見さえできればそれほど恐れる必要がなくなってきているのかもしれません。しかしこれはあくまでもガンによる死亡率の話であって私たちの死亡率は100%なのです。

誰でもガンになんかなりたくありません。もしガンにな れば誰もがガンを克服したいと願うことでしょう。それに応えてくれるのが医療であり医学なのです。その恩恵により寿命も延び日本は世界に誇る長寿国となりました。しかし長寿になることでガンの発症率は上昇しているのかもしれません。現代より短命の時代では恐らくガンが発症する前に寿命が尽きていたであろうと思われますし、たとえガンを克服したとしても長く生きるほど今度は再発や転移などの恐れがあるからです。つまり何を言いたいのかと申しますと結局死から逃げ切れ無いということです。ガンの人はガンを克服できた時「助かった」とか「救われた」と表現されるでしょうが、それは本当に助かったことにならないのです。よく言って元の状態に戻っただけで、また他の病気になるかもしれませんし、再発する可能性だってあります。今度は脳梗塞で倒れるかもしれません。生き残ったことによって、別の病気と付き合っていかなければならなくなるかもしれないですし、病気にならなくても事故に合うかもしれません。このように病気 になった→助かったを繰り返し一喜一憂しているのが私たちです。しかし死からは逃げ切ることは不可能ですから、結局助からなかったということになるのでは ないでしょうか。生こそすべて、それも健康で生きがいのある生こそが私だと生きている人にとって死とは敗北であり絶望でしかありません。

生のみが我等にあらず
死も亦我等なり
我等は生死を併有するものなり

清沢満之

普段、生のみを私として生きています。だから死とは私が死ぬということですから死を未来のこととし、今の私にはとりあえず関係のないこととしてしまっているのではないでしょうか。しかし生と死はコインの裏と表、 ドアの内と外のように、本来生死一如であって死を離れて生というものは成り立たないはずです。しかし生こそすべて、生こそが私と生きています。それではその私という者とは一体何者なのでしょうか。いずれ死する私という立場から生というものを受取り直してみると、これまでとは違った生の姿がみえてくるかもしれません。

また私たちは、生とは自分が生まれるということであり、死とは自分が死んでいくことであると、そういう「思いの中の生死観」を創造して自分を人生の主人公としその主人公である私の思いを大切にして生きているのではないでしょうか。賜ったいのちを自分のものであると握りしめて苦しんでいるのが私たちなです。この世に生を受けた身体は老い、やがて病み、そして死すということは頭ではわかっているつもりでも、思いはそれらを受け入れることが出来ないのです。自分というものをどう受け取っていけばいいのか分からないのです。人生が思い通りにいっているときはそのような悩みは起こってこないはずです。しかし受け入れがたい事実に直面した時に苦悩というかたちで私とは一体何者であるのかと問わずにはおれなくなる。そういう宗教的歩みを苦悩をとおして促してくるはたらきを本願といいます。

私たちの願いといえば例えば無病息災であったり交通安全といった独りよがりの願いです。自分さえ、自分の家族さえ助かれば、隣の家がどうなっていようが関係ないのです。自分の病気さえ治れば満足なのです。しかし、そのような個人的な満足では本当に満足できないのがいのちを私たちは生きています。個人的満足を求めて生きている私たちですが、本当に満足できるものに出遇いたいといのちの根底では願っているのです。個人的な思いや願いを破るものに出遇いたいのです。


命が
いちばんだと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより
大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった

星野富弘


自分が可愛い 
ただ それだけのことで 生きてきた 
それが深い悲しみと
なったとき ちがった世界が ひらけて来た

「回心」 浅田正作

どちらの詩も自分より大きなもの、自分を包み込むような大きな世界にであい、自分の思いが破れた時の感動を詩にされたのだと思います。普段私たちは、男の世界、女の世界、大人の世界と子供の世界いうようにいろいろな世界をつくりあげて、他の世界のものには自分のことなんかわかるまいと自分の世界に閉じこもって自分の世界を、思いを守ろうとしています。いやそんなことはない。私は何事に対しても精一杯努力をして一生懸命がんばって生きているのだと主張される方もいらっしゃるかもしれません。しかし私たちの努力とは自分の世界の中の努力であって、その努力が評価されなかった時、なんのために…となりかねません。結局のところ自分の思いを一歩もでていないのです。そして 念仏でさえも自分の思いの中で称えてしまっているのです。念仏して助かったと思ってみたり、こんなことで本当に助かるのかと思ってみたり…自分の思いの中で一人相撲をとっている、そういう自分の思いの中の世界こそ私だと思っていた。思いがけず、自分の思いが破れ、自分、自分と主張してきた狭い世界を出た、そこにそんな自分をも包みこむような大きな世界が広がっていたのです。しかも自分だけではない、みんないたのです。その世界を阿弥陀の国といい、浄土というのでしょう。この世界に立つとき、そこから私たちの人生というものが見直されてくるのだと思います。生死の中で、自分の思いのなかでこれが自分だと生のみに執着し自分というものが受け止められず苦しんでいる私たちですが、生死を超えた世界から人生を受け止め直すことによって生死を貫いて歩んでいくことができるのではないでしょうか。

自分の思いでは自分を受け止められないが、そんな自分が仏さまに受け止められていたのです。

2010年4月17日土曜日

呆けたら終りといいながら 生存呆けしている私たち

現在、「呆け」という言葉は差別用語にあたり公の場ではほとんど使用されなくなりました。もう使用されないから死語になってしまったかといいますと日常会話などではまだまだ口にすることがあるのではないでしょうか。特にお年寄りが「ボケたらワッシャもう終わりじゃ」と口にすることをよく耳にします。

またこれまで「呆け」→「痴呆症」→「認知症」と言い方だけを変えてきましたが、仮に「呆け」という言葉を差別的に使用していたとするならば、言葉の上っ面だけを変えたとしても、私たちに差別心がある限り、いくら表現を変えても差別はなくなりません。今回の掲示にあえて差別用語である「呆け」という言葉を使用したのは、もちろん差別心によるものではありません。また曖昧かつより難しい表現を使用することによって、私たちが持つ差別心というものを覆い隠し、ますます腫れ物に触るようになってきているような気がしてなりません。

「呆け」という表現の使用を推進しているわけではありませんが、私は「呆け」という言葉にはおおらかさを感じます。「ボケたら終り」とはいいますが、もし呆けたとしても許せるようなおおらかさがあるような気がするのです。「認知症」と言ったときは「原因は何々で~」「こういう薬があって」「ならないためには~で」というように何か力が入っているというか、病気だからなんとかしなくてはいけないということが優先されて、その言葉の陰では認知症の人を否定してしまっているということはないでしょうか。

「呆け」のほうは流に逆らわずより自然な表現のように思います。最近テレビCM等で「薄毛はお医者さんの薬で治ります」とよく目にしますが、これまで「ハゲ」「薄毛」という自然現象で済んでいたというか諦めていた(?)のに本当に治るのか知らないが薬で治せるという。薄毛をまるで病気のように扱い、治療すべきことであると。これはハゲではだめなんですよーということを暗に示唆しその人を否定している感が否めません。何でも病気扱いにし、それを克服していこうと自然から逆らい、その陰でそういう症状の人をいつの間にか否定し差別し排除してしまっているのが現代なのかもしれません。

話が脱線しぱなっしですが、今回の掲示でなにが言いたかったといいますと、呆けた人は決して呆けていないのだ。呆けているのは私たちの方だということです。これはほとけのいのちから私たちの在り方を見るとそのように見えるのです。通常の呆けというのは理性や知性が呆けたことをいい、理性を基準に呆けたか呆けてないかを判断しているのですが、今はいのちを基準に考えてみると実は呆けているのは私たちの方ではないかということを言いたいわけです。高齢になり呆けるといっても、理性が呆けるだけで、人間存在そのものが呆けるわけではないのです。ある先生によると、呆けると3歳以前の幼児に帰るそうです。物心がつき自我とともに芽生えた知性や理性が呆けるだけであって、その人のいのち、その人そのものが呆けたのではないということです。ありのままを生きているだけであって、呆けて自らを見失っているわけではないであり、いのちの願いのまま生きているという自然の相を私たちに見せてくださっているのです。反対に私たちはどうかといいますと、思い通りにならないと自分を裁き、他を裁きなかなかありのままを受け止めいきていくことができません。本当のいのちの姿というものが理性や知性に覆い隠されてしまい、ほんとうのいのちの相が見えなくなっているのではないでしょうか。このように本当のいのちの相を見失ってただ自分の思いに流されながらいきているものを生存呆けというだと思います。

理性や知性は呆けてもいのちは呆けません。理性や知性でいのちを暈しているのが私たちなのです。

2010年3月1日月曜日

念仏あるところに花開く ほとけの花が


詩人である坂村真民さんの詩にも「念ずれば花開く」という有名な一句がありますが、ほとんどの方は「念ずれば夢が叶う」という意味として受け止めてらっしゃるのではないでしょうか。私の母校でもある甲子園で有名な(最近はサッカーのほうが有名かも…)野球部の室内練習場にも「念ずれば花開く」と書かれた横断幕が掲げられています。コツコツと努力を積み重ねていけば、必ず甲子園優勝という夢が叶うのだ、だから厳しい練習だけれどもがんばろう、必ず報われるはずだというふうな意味合いなのではないでしょうか。

思えば、私たちは物心がついたころから、周りから真面目に努力すれば夢が叶う、だから「がんばれ、がんばれ」という周りの、そして自らの声援に「何のために勉強しているのか」、「がんばれば本当に夢がかなうのか」という率直な問いがかき消され、とにかく自分を信じて必死でがんばる生き方をしてきたような気がします。

このような生き方をしてきた私たちですから、「念仏あるところ に花開く」と聞いても念仏することによってその結果、自分の願いが叶う(花開く)のだろうと考えてしまうのは無理もないことだと思います。ですので今回の 掲示にはあえて「ほとけの花が」という言葉を置き、自分の願いがかなうということではなく、ほとけの願いがかなうのですよということを強調してみました。

涅槃経というお経に「一切衆生悉有仏性」とお言葉が何度もでて きます。生きとし生けるものはことごとく仏性(仏になる種)を持ってるという意味です。私たちは仏になる種を持っていながら、その種から花を開かせる縁になかなか出会うことができません。いやその縁は無数に頂いているいるのですが、自分自身の花を咲かせようと一生懸命で気づくことができないのです。また仮に夢が叶ったとしても私たちが咲かせることのできる花はあっという間に散ってしまう儚いものです。夢破れてどうにもならなくなった、もうがんばることができない、花を咲かせてみたが枯れてしまい、何のために頑張ってきたのかと虚しくなる。その時はじめて立ち止まるということがあるのではないでしょうか。私たちは立ち止まることを恐れて走り続けていますが、立ち止まって視点を内側に転じるということが必要なのだと思います。私自身の願いではなく、いのちそのものがもつ願いに耳を傾けるということが起こる時はじめて今まで光があたることなど一度もなかった仏の種に光があたるのでしょう。これまで自分自身で遮り続けてきた光がようやく種まで届いたのです。私たちが作り出してきた闇にとうとう光がさしたのです。そして光が種まで届いた時、ほとけの花は自然と咲くのでしょう。

いったんほとけの花が咲いてみれば、周りにも無数のほとけの種を発見することでしょう。私だけではない、生きとし生けるものすべてに仏の願いがかけられていたのです。年齢も性別も人種も貴賎も善悪も生まれた時代も問わず、さらには何教の信者であったとしても、ひとしくほとけの花が咲くことを願われている、そういういのちを共にいただいて生きている仲間だったのです。 そこに共に生きるという世界が開かれてくるのだと思います。あぁ、あなたも同じ願いに生きる仲間であったのだと。私たちは各々自分勝手な願いに生きている ようにみえますが、その根底には共通の願いが流れているのです。

舎利佛、もし人ありて、已に願を発(おこ)し・今願を発し・当に願を発して、阿弥陀仏国に生まれんと欲(おも)わん者は、このもろもろの人等、みな阿耨多羅三藐三菩提を退転せざることを得て、かの国土において、もしは已に生じ・もしは今に生じ・もしは当に生ぜん。

『仏説阿弥陀経』

ここでは、已に願いをおこした人や今願いをおこす人だけが不退転の悟りを得るのではなく、これから願いをおこす人も未来の仏として見出されています。まだ願いをおこしていない人であっても、きっといつかあなた自身に流れている願いに目覚めてくれるはずだと、きっとあなたにもほとけの花が咲くはずだと、このように信じ寄り添い続けていくというところに同朋という世界が開かれてくるのではないでしょうか。

私たちは自分を信じ自分の願いを叶えようと努力しますが、すでに信じられているあなたというものに目覚めて下さい。個人的な願いを満たすことでは決して満たされることのない、いのちの願いに目覚めて下さい。きっとあなたにもほとけの花が開くはずです。

2010年2月1日月曜日

私ー鬼=鬼 私+福=鬼

節分になると「鬼は外、福は内」と豆まきをしたり縁起を担いで恵方巻きを食べたりするのが、恒例となっています。私の地方ではあまり恵方巻きを食べる習慣はあまりありませんが、2歳になる私の娘は「鬼は外♪福は内♪」と無邪気に歌っています(笑)人はなにも節分の日だけ「鬼は外、福は内」という生き方をするのではなく、人間という存在そのものがそういう生き方をしているのではないでしょうか。私たちが意識しようがしまいが、365日節分のような在り方をしてしまっているのです。自分にとって都合の悪いことをできるだけ遠ざけ、自分にとって善い条件をできるだけ集めるという、そういう在り方を仏教では罪福信という言葉で教えてくれています。善いことをすれば幸せになり、悪いことをしたら不幸になるという考えを信じ込んでいるのです。ですから自分にとってのマイナス材料をなるべく減らし、プラス材料を積み上げて幸せになろうとするのです。歳を重ねるごとにマイナス材料が増えていくような気がするのですが…とにかく自分にとって損か得か、善か悪か、苦か楽かというように自己中心的な視点からしか物事を見ようとせず、またその事が苦しみの原因とも知らずに生きているのが私たちです。

私は大学に入ってはじめて仏教を、また親鸞聖人の教えを本格的に学びました。修士課程まで進み、少し親鸞聖人の教えがわかったつもりになっていた私は「鬼は外、福は内」とご都合主義的な生き方をしている世間の人を見下していたところがあったのではないかと今になって思われます。自分は念仏の教えを学んだのだから「鬼は外、福は内」という生き方から少し離れたところで生きていると勘違いしていたのです。口では自らを凡夫(鬼)といいながら、本当にそういう生き方をしている自分を直視するということがなかったのでしょう。ですからいつも自分のことを棚にあげて他人の生き方を裁いてばかりいて、実は私こそが「鬼は外、福は内」という生き方をしてることに気づいているつもりで気づいていなかったのです。他の誰でもない私こそ休むことなく今この瞬間も「鬼は外、福は内」という自らの幸福のみを願って共に生きるということとはほど遠い生き方をいつのまにか生きてしまっている私だったのでした。念仏するとそういう生き方から無縁になるのではなく、念仏の智慧によっていよいよ「またいつのまにか自分勝手な幸せを願っていた鬼だったなぁ」ということに気づかされていくのです。

また念仏によってそういう自分から目を離すことが出来なくなるということは、ある意味悩みが増えるということかもしれません。しかし悩みが増えたということは、今まで問題になってこなかった自分の生き方に問いをもつようになったからに他なりません。念仏の智慧によってかえって悩みや問題が見出されてくるのですが、それは同時にそこに仏さまがはたらいておられる証でもあります。

確かに親鸞聖人の教えに学んだ人は豆まきをしなくなるのでしょう。しかしそれは念仏の教えを聞いているからといって豆まきをしないから自分は大丈夫というところに安住しているだけなのかもしれません。今はそういう縁はないかもしれないけれども、いざ自分がそういう立場になったら、やはり福を願ってしまうのが私たちです。 だからといってそこに居直るのであれば念仏の教えは必要ありません。自らを問題とし、信を問い直すという視点が念仏者に育てられていきます。悩みや疑いを縁として信心というものを掘り下げて行く、それが念仏者の生き方であり、鬼が鬼のままで救われていく道なのです。

2010年1月2日土曜日

白い息 残る足跡 冬は見えない世界を 教えてくれる

突然ですが、私は冬が好きです。気温が下がり、身が縮こまり、外に出たくなくなるような憂鬱な寒い日が続くのですが、私はその寒さに身が引き締められ、冬の澄んだ空気のように私の精神も研ぎ澄まされていくようで好きなのです。特に学生時代を過ごした京都の冬はほとんど雪が積もることはありませんでしたが、とにかく空気が冷たく、皮膚に風が突き刺さり、親鸞聖人の比叡山での修行を思い起こさせられるような厳しさでした。しかし冬は厳しさばかりではありません。現在の居住地である故郷金沢の冬には厳しさだけでなく、やさしさも感じる時があるのです。北陸の冬は太平洋側ほど乾燥しないからということもありますが、一番大きな原因は雪が降るということにあると思います。雪が降らない地域の方は信じられないことかもしれませんが、雪の積もった日は温かいのです。雪が降るのですから、実際は気温が低いのですが、不思議と温かく感じるのです。まるで街全体が雪の布団をかぶっているかのようです。ビルも家も道路も山も木々もすべて別け隔てなくすっぽり覆ってしまう様に歎異抄の「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」(『歎異抄』第一章)というお言葉を思い起こされます。


冬は普段目に見えないものを見せてくれます。

・「白い息」
気温が低くなると、吐く息が白くなり、普段見ることのない 吐息の動きを見ることができます。私たちは普段当たり前のことのように、一息一息、意識することなく息をしています。「白い息」に私が意識していようがしまいが息をし呼吸をしているということに気づかされます。私たちは自分の力で生きているように思っていますが、私が頑張っているから生きているわけではありません。そもそも自分で生まれようと思って生まれてきたわけではないですし、私が頑張っているから心臓が動いているわけではありませんし、呼吸をすることができるというわけでもないでしょう。私が頑張らなくても寝ている時だって休まずに呼吸をしてくれています。
私は以前、過呼吸という病気になったことがあります。この病気は血中の酸素濃度の上がりすぎることによって発症するのですが、全身が痺れ意識が遠のき、とにかく息苦しくて、息を吸っても吸っても苦しくて呼吸を意識すればするほど、上手く呼吸ができなくなり、パニックに陥ってしまうのです。普段当たり前にしている呼吸がこんなに難しいなんて!それと同じでいのちを 自分のものと私有化すればするほど、人生に苦しむことになるのではないでしょうか。


・「残る足跡」
雪が積もると普段見えない足跡が残ります。普段目に見えませんが、先人の大変なご苦労の上に私たちの生活があることを思い出させてくれます。迷い、苦悩し、命をかけてこられた末に今の私たちがあるのです。同じように、今ここにお念仏の教えが伝えられているという背景には、親鸞聖人をはじめ、お釈迦さま、過去無数の諸仏、名もなき無数の念仏者のご苦労があるわけです。そのご苦労を戴いていくのが念仏の教えであると思います。それは従果向因の教えであるといえます。世間の教えの延長で称える念仏は従因向果なのでしょう。 つまり念仏する(因)ことによって救われ(果)とする。それでは念仏が手段になってしまいます。そうではなく、今思わずでてきてくださった念仏の一声 (果)から法蔵菩薩のご苦労(因)に遡っていくのです。果を求めて努力するのは自力の道であり、他力とは因を戴いていく道なのでしょう。

「お陰様」という言葉がありますが、因を戴いていくところから出てくる言葉だと思います。それは文字通り目に見えない「陰」を戴いていくということでありますが、同時に見えない世界に支えられている私であったと気づいていくということです。私たちは物事が自分の都合よくいった時や何事もなく無事である時によく「お陰様」という言葉を使いますが、自分の思い通りにいった時は誰だって「お陰様」と言えるのです。思い通りにいかない時でもそう言えるでしょうか。

思い通りにならない自分をも支えてくれているものがあるということに気づけた時、はじめて本当の意味での「お陰様」ということがあるのではないでしょうか。

目に見える世界は目に見えない世界に支えられています

2009年11月30日月曜日

自由、自由と思っていたら そのこころが不自由であった

人はこの世に生を受け、物心がついたころから自由を追い求めて止まない存在なのかもしれません。しかし自由を求めながら、その自由というものがよくわかっていないということはないでしょうか。私たちはよく「自由」や「平和」といった言葉を口にしますが、自由とはどういう世界を自由というのか、平和とはどういう世界を平和というのかわからないで、追い求めているような気がします。「自由平等」「世界平和」などと言いながら、目指す世界がはっきりしていないのです。お互いに束縛し合わず、お互いに干渉し合わないで自由に生きていくことができる世界が自由な世界なのでしょうか。戦争や争い事がなければ 平和なのでしょうか。


動物は生まれてすぐ立ち上がり、自らの力で生きていこうとしますが、人間は生まれた瞬間から、人の手を借りなければ生きていくことができません。両親をはじめ多くの人のお世話になりながら成長するのでしょう。それなのに親からの自由、学校からの自由、社会からの自由というように、関係を絶つことによって自由を手に入れようと藻がき苦しむのです。関係の中でしか生きられないのに、関係を絶つことによって自由を手に入れようとすること自体無理があり、ものすごくエネルギーを消耗してしまいます。だから、親や学校や社会に反抗していた思春期を過ぎると今度は逆に社会人として会社の、そして世間の歯車の一部になることで安心を得るようになるのです。

また結婚をし家庭をもつという行為もより人間関係を複雑なものにし、自由が奪われてしまうにもかかわらず、それを求めようとします。人は自由を求めていますが、ある意味仕事や家族や社会に拘束されていたほうが楽なのかもしれません。「明日から自分の好きなように自由に生きてください」と言われても、何をして生きていけばいいのか分からないのが正直なところではないでしょうか。

自由を求めていたけど、いざ自由になってみると今度は自由であることが不安になってくるのです。ということは自由を手に入れた瞬間、もう自由でなくなってしまっているということになります。束縛されていても落ち着かない。また自由でも落ち着かない、そんな生き方をしているのではないでしょうか。

私たちが求める自由とは、今自分を拘束し束縛している障害から解放された状態になることであって、目先の自由です。さらに自分さえ自由になれるのであれば、他人の自由を奪ってでも手に入れようとする身勝手な自由なのです。これらは本当の自由とはほど遠いもののように思います。

私たちは現在の不自由という思いに囚われ過ぎて、なんとかしようと苦しんでいるのですが、不自由という結果ばかり見て、なぜ今不自由に感じているのか、なぜ苦しいのかその原因を見ようとはしないのです。さらに不自由の原因を「外」に求め、外へ外へとなんとかしようとしています。視点を「外」から「内」に転ずるということが起こらない限り、本当の自分の姿を見るこ とができません。仏の智慧に照らされてはじめて不自由な姿というものがはっきりしてきます。

その時、自由に執着する自分の思いこそ実は苦しみの原因 だったことに気付かされるのです。自分の思いがまさに不自由だったのです。そのことに気づくことができた時、その不自由な思いから自由になることができるのではないでしょうか。それは自由な私に生まれ変わるのではなく、不自由な私を私として生きていくことができるということです。私たちは、自由と不自由を対義的に理解していますが、本当の自由とは不自由をも包み込みこむものでなければなりません。

超世の悲願ききしより
 われらは生死の凡夫かは
 有漏の穢身はかわらねど
 こころは浄土にあそぶなり
 
『帖外和讃』

本当の自由とは自由であであろうがなかろうが、うまくいっていようがいなかろうがこれも自分なんだと受け止めていくことができるということではないでしょうか。これはもちろんおまかせだからどうしようもないと諦めているのではありませんし、どうなってもいいやとやけくそになっているわけでもありません。
人生を投げ出さず自分のこととして受け止め、能動的に生きる道、それを「無碍の一道」(『歎異抄第』第七章)というのです。

どんな私であってもいいのです。そのままで意味があたえられている、存在の自由とでも言ったらいいのでしょうか。自己の自由が見出された時、同時に他者の自由も見出されることでしょう。自由だ、不自由と身勝手なことを言い続けている私たちですが、どんな自分であったとしても、そんな私をも見捨てないで支えてくれている、そんな私だからこそ仏様は常に寄り添ってくださっています。実は見失っているのは私たちの方なのでした。仏様は見失い続けている私たちに呼びかけてくださっています。その呼びかけに耳を傾けるということが、自己を問うというかたちで、念仏者として私たちを歩ませるのでしょう。

自己を問うということがおこる時、自分の根底から問い返されているということに気づかされ、問われていた私というものが明らかになるのです。


今なぜ不自由と感じているのか考えてみませんか。

2009年10月7日水曜日

私が南無と思うていたら 仏さんに南無していただいておった ナムアミダブツ・・・

「南無」の言は帰命なり。ー中略ー
「帰命」は本願招喚の勅命なり。  
               
『教行信証』行巻 親鸞聖人


帰命=南無とは本願に気づいて欲しいという仏様の叫び声です。

私たちが南無するのに先だって仏様はいつも私たちに南無してくださっています。
仏様を信じていようがいなかろうが、念仏を称えていようが いなかろうが、起きているときも寝ているときも、たとえ仏様のことなんて一度も考えたことも思ったこともないような無関心な人であろうとも、いやそんな私たちだからこそ見捨てておくことができずに、きっといつか気づいてくれるはずだと、なんとかして私の(仏様の)願いを届けようと南無してくださっておられるのが仏様です。私たちを信じ呼びかけてくださっているのに、煩悩が邪魔をして煩悩具足の身には呼び声が仏様の呼び声として響いてこなのです。

私たちは自分の願いを叶えることに一生懸命ですから、「あれもしたい、これもほしい」と自分の声ばかりうるさくて仏様の声などまったく聞こえないのです。そして思い通りにならなかったならなかったで今度は「なぜこんな目に…」と愚痴の声がやかましい。こんな救いようのないのが私たちの姿です。他の仏様ならもう愛想尽かして見捨ててしまうのではないかというくらいどうしようもない姿。しかし阿弥陀さんは私たちを見捨てることは決してありません。なぜなら阿弥陀仏になる以前、すなわち法蔵菩薩であった時、私たちのありとあらゆる苦しみをすべて味わっているからです。そこに阿弥陀さんが因位を持つ大切な理由があるのだと思います。
また『教行信証』真仏土巻には


仏をまた「地獄・餓鬼・畜生・人・天」と名づく
                     
『教行信証』真仏土巻 親鸞聖人


と涅槃経から引文されています。
地獄・餓鬼・畜生・人・天とは流転する私たちの迷いの姿です。仏様は仏の位を投げ捨ててどこまでも迷い続ける私たちを見捨てることなく寄り添い続けてくださっているのです。
また十八願だけではなく十九願・二十願もお建てになられているところにも決して救いから漏らす人をだすまいとする願心の深さが伺えます。
とにかく私たちの苦しみを知っているからこそ、どんなことがあろうとも救わずにはおれずに私たちの苦しみを我が痛みとしてなんとかしようと、絶えることなく常に私たちに呼びかけてくださってるのです。

私たちの煩悩は頑固ですから、聞法する縁に恵まれて私たち凡夫は煩悩具足の身であると聞かされたとしても、なかなか自分のことを言い当てた言葉として響いてこないのではないでしょうか。わかっているようないないようなもどかしく感じることでしょう。

煩悩があるから私たちは救われないのではありません。もうどうしようもなくなっても、まだなんとかなると思っている自分がいるからなのです。もう駄目だと思いながらも、なんとかなる、きっとなんとかなるはずの自分を握りしめて自分で自分の首を絞め、苦しんでいるのです。どこまでも自分の力で自分の思い通りにしようとしています。このように自分を信じている私たちですから念仏で救われるといっても念仏が頼りなく感じてしまうのでしょう。どこまでも本願を疑ってしまっているのが私たちです。

なんとかなっている私が本当の私なのではなく、もうどうにもならないのが本当の私の現実であり、もっというと現実から目を逸らし、さらになんとかなると思い続けている自分こそが本当の自分なのだと思います。そこに本願を疑いつづけていた我が身が明らかとなるのです。明らかになった自分自身に立てた時にはじめて、もうどうすることもできない自分自身に頭が 下がるということが起こり、思わず念仏がこぼれでる。

南無と頭が下がるということは、私たちに先立って私たちを信じ、南無し、念じてくださっていたということがあるからこそ、仏を念ずるということが私たちにおこってくるのです。そのことを『歎異抄』(第一章)では「念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき」と表現されたのでしょう。南無阿弥陀仏とは私たちが南無と何かお願いしているということではなく、南無してくださっている仏様の願いをきちんと受け取った姿なのです。そのことを本願成就文では


「聞其名号 信心歓喜」

本願成就文


と仏の名を「聞く」という表現されています。
私たちにどうか私の名を称えてくださいという仏の願いを受け取るということはその仏の声聞くということです。仏の声がはからずしも私の処までとどけられた感動、その表白が信心歓喜の念仏であり、同時に届くはずのない私のところまで届けてくださった如来の願心を知らされ、そのご恩に報いずにはいられない、報恩謝徳の生活が始まるのです。


私たちは、仏様というとなにか遠いところにおられる偉いお方のように思ってしまいます。阿弥陀仏とはそれは本願のはたらきを自己とする名乗りにおいて名づけられた名です。智慧と慈悲のはたらき、すなわち本願のはたらきだけでは私たちには到底窺い知ることはできないので、具体的に阿弥陀とお名乗りになって私たちにもわかる言葉となって呼びかけておられるわけです。 そしてその南無阿弥陀仏という名前を私たちのところまで過去無量の諸仏が歓びつたえてこられたのです。単なる名前としてではなく具体的なはたらきとして、 その身をもって証明してくださっていたのが無数の諸仏なのです。その中でも直接的に私に届けてくださった方を特に善知識というのでしょう。


真の善知識というは諸仏・菩薩なり。別していうときは、われらに法をあたえたまえるひとなり。
                                 
『浄土真要鈔』存覚上人


親鸞聖人にとって直接の善知識は法然上人であったのでしょう。しかし法然上人だけでなくその法然上人を生み出した諸仏も法然上人以前に無数におられたわけなのです。お釈迦様は仏法をはじめて仏教という教えとして、わたしたちにでも分かるように具体的に説かれました。そして七高僧をはじめとする無数の諸仏が念仏者として生き、念仏者を生み出し育て、その身をもって本願を証明し親鸞聖人まで届けてくださったのです。そしてその念仏が今私たちのところにも届けられているのです。


去・来・現の仏、仏と仏と相念じたまえり。
             
『大無量寿経』

一人の念仏者の念仏には、私のところまで届けてくださった 過去無数の諸仏がいらっしゃるということです。それだけでなく、現在仏教に関心のない、たとえそういう人であってもいつかきっと気づいてくれるはずであると、すべての人を未来の仏として見出していく、そういう視点を賜るのです。自分の目覚めをとおして、すべての人にあるいのちの願いに気づいていくのです。 間違ってはいけないのは、私が仏になったから過去の仏、未来の仏と仏仏相念つまり仏様と心通じ合うことができるのではないのです。あくまでも身は凡夫で、 そういう身であるけれども、仏さまのお心を知ることができたということです。そういう人を御和讃に「信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたもう」 と表現されています。凡夫がそのまま如来だと言っているのではなく如来のお心に気づいた人を如来とひとしとおっしゃっているのでしょう。今ここにある念仏は、自分勝手な独りよがりな念仏なのではなく、過去、未来の仏から問われている念仏なのです。もうどうしようもない凡夫としてその問いかけに耳を傾けていくこと、それが念仏者の歩みなのだと思います。

一切の存在に仏を見出してくださっている、そのお方を仏様といいます。