2009年6月1日月曜日

いのちは まっすぐ生きている どんなときも

わたしたちは、自らのいのちを「こんなもんだ」と決め付けて生活しているということはないでしょうか?「こんなもんだ」というのは自分の範疇に納まっていてくれているということです。たまに病気になって寝込むこともあるし、「健康だ」と胸をはって言えないにしても、普段の生活に支障がない程度に体が動いてくれるし、他人と比較しても、「まぁ年相応でこんなものかな」という風な具合です。

このような生き方をしていると、「こんなもんだ」という自分の範疇から人生が大きく外れていってしまった場合、そのような状態の自分を受け入れることができ なくなってしまうだけでなく、自分の範疇に納まっていない生き方をしている人を自然と疎外した生き方になってしまっています。私たちは、「寝たきりになったら終わりだ」とか「呆けたら終わりだ」などと軽々しく口にすることがありますが、そのような姿勢からは、その人たちと共に生きるという世界は生まれません。

真宗寺院の坊守(住職の妻)で若くして癌で亡くなられた平野恵子さんは重度の心身障害児である長女由紀乃ちゃんの身体のことで悩み、一緒に死のうと思った 時、長男の「お母さん、由紀乃ちゃんは、顔も手も、足も、お腹も、全部きれいだね。由紀乃ちゃんは、お家のみんなの宝物だもんね」の一言が、お母さんの目を覚ましてくれたのです。と著書『子どもたちよ、ありがとう』で語っておられます。

「こんなもんだ」という生き方から外れた生き方をしている由紀乃ちゃんを受け入れることができなく、由紀乃ちゃんの存在を否定しておられた。しかし長男の言葉によって由紀乃ちゃんは、由紀乃ちゃん自身のいのちをあるがままに一生懸命生きているだけなのであり、その苦しみの原因は自分にあったのだということに気づかされたのではないかと思います。

さらに平野さんはその著書で由紀乃ちゃんについて次のように語られています。

 「この子の人生は、一体何なのですか。人間としての喜びや悲しみを何一つ知ることもなく、ただ空しく過ぎていく人生など、生きる価値もないではありませんか」
お父さんの大学時代の恩師、廣瀬杲先生の講演会の席上で、「問いをもたない人生ほど、空しいものはない」と“空過”ということについて話される先生をにらみつけ、泣きながら訴えた若い日のお母さんでした。
 「お嬢さんの人生が、単に空しいだけの人生だと、どうして言えるのですか」
優しげな微笑みを浮かべた先生の口元から、穏やかな言葉が返ってきました。
 「娘は、何も考えることができません。何一つ、問いを持つこともないのです」
 「お嬢さんは、問いを持っていますよ。大きな問いです。言葉ではなく、身体全体で、お母さんに問いかけているではありませんか。無言の問いというものは、言葉で表される問いよりも、時には深く大きなものなのですよ」
 「お嬢さんの人生が、空過で終わるかどうか、それを決めるのは、お母さんのこれからの生き方なのではないですか」


平野さんは由紀乃ちゃんの心配ばかりしていたが、実は逆にそういう身体全体で由紀乃ちゃんが平野さんに訴えかけておられていたのです。「あなたはそれでいいのですか?」といういのちそのものの問いかけを「こんなもんだ」という自身の生き方が耳を塞いできた。つまり問いを持つことがなかった。しかし事実がそういう生き方を崩しかけてくる。その崩れかけた隙間から聞こえてくるいのちの呼びかけに耳を傾けるということが起こる。それは、自分自身のそういう生き方に 対して、問いを持つことであり、それによってはじめて空しい人生を送っているのは自分のほうであったと気づかされるのです。

いのちはどんなときも、なんの迷いもなくまっすぐに生きています。寝たきりになるのも呆けるのもいのちのひとつの姿です。その姿でもって全身を上げて私たちに無言の問いかけをしてくださっている。その問いかけを受け取るというところに共に生きることのできる世界が開かれてくるのではないでしょうか。